死んだ人の悪口が言われないのはなぜだろう…って考えていませんか。
どんなアンチの人でも、死んだ人に文句言ったり悪態つく人ってあまりいません。
もちろん、犯罪者とかなら別です。
だけど、どんなに嫌われてた政治家でも、芸能人でも死んだ途端大物みたいになって、讃えられるのはなぜでしょう??
これは心理学的にはどう説明されるのかということについてご紹介したいと思います。
死んだら、いい人扱いなのはなぜ?
死んだ人が悪口を言われることってありませんよね。
私は、昔からそれを疑問に思っていました。
最も強く思ったのは、マイケル・ジャクソンが亡くなったとき。
それまで日本国内でも、「整形」だの、「不気味」だの、裁判続きでアーティストどころか「変質者扱い」されていたことをご存知でしょうか?
だけど、彼の死亡と同時に評価が一変し、映画まで制作され、「いい人だった」と讃えられています。
なぜ、死んだ人は悪口を言われないのでしょうか?
なぜ、いきなり「良い人」扱いされるのでしょうか?
その理由についてここではご紹介したいと思います。
死んだ人の悪口を言うのはフェアじゃないと考えられている
死んだ人はもう反論出来ないんですよね。
それでも何か言うのはシンプルに「フェアじゃない」って考えられています。
たとえば、その人のことを本気で嫌いだったとしても…死んだ人は、自分の存在を脅かす存在ではなくなります。
自分にとって不都合な存在ではなくなります。
死人の過去の意志が、多くの人間達の意識に残り脅威になる場合もあるけれど、現在進行系で不都合な存在から外れるわけです。
自分にとって不都合でない人間だからこそ、いい人へと簡単に変化するのです。
宗教が一つの原因
熱心な仏教徒ではありませんが、日本は仏教の教えが生活の中に潜在しているように思います。
亡くなったらとたんに「いい人扱い」されるのは、この教えが意識に組み込まれているからかもしれません。
仏教の精神として、「どんな人間でも、亡くなったら仏様になる。」という考えが心の底にあるからではないでしょうか。
人は死んだらみな仏になる、つまり仏さまなので、何も言うことはできません。
仏様に非難を浴びせることは罰当たりなこと?という意識が知らず知らずそうさせるのではと思います。
それとは別に、人には誰でも暗い悪の部分と明るい善人の部分はあるもので、死者を冒涜してはならないという教えもあります。
それらが相まって、こういった現象となるのではないでしょうか。
仏教の精神を持たない国では、「亡くなっても関係がない」という意識で、遺体を粗末に扱う国もあります。
ちなみに、神道では人が亡くなると「お隠れあそばした」と言われます。
キリスト教では人が亡くなると「罪が許された」と信じられています。
この様に、割りとどこの国でも、死者に鞭打つのは酷だと伝えられているのです。
慈悲深くなる
その人が亡くなってから「偉大だった」と意見を変えるのは、自分が圧倒的に有意に立つと、人はその相手に対しての敵愾心をなくし、慈悲深くなるからです。
また、いい面を思い出す余裕もでてきます。
その結果、死んだらいい人になってしまうと解釈できます。
慈悲深い精神が生まれることで、悪い面を見なくなります。
そして、「いい人だったのに」という決まり文句があるということも重要な要因です。
死ぬことでチャラになる
日本の文化的思想に、《「死んだ者」には全てを問わない》という思想があります。
これは、つまり、全てを死んだらチャラにするってことです。
侍の「死んでお詫び申す」をご存知でしょうか?
これは、事実上罪をチャラにする文化を言います。
死者へ鞭打つ事、何かを問うことは、「潔くない」とされてきました。
こういった思想教育が無意識にあるのです。
自分の人生に甚大な悪影響を及ぼした場合であれば、死んでも恨みつづけることはありますが、それは稀ですよね。
もう生き返らないその人を許さないのは、潔くないとされているのです。
亡くなった方などの悪口をいうと悪い事が起きるのは本当?
ちなみに…私は、たとえ何で亡くなったとしてもその人に対しての生前からの意見、印象を変えないタイプです。
死んだからって特に忖度しません(笑)
悪口を言っていたのにも関わらず、「偉大だった…」っていきなり讃え始めるのはどうなの?って思うからです。
それでは、例えば事件や、事故で亡くなった人がいるとします。
その原因が亡くなった方にもあると考えていたり、「自業自得」、「天誅」とか死者などに対して悪口を言ったりすると呪われたり、悪い事が起きたりするのでしょうか?
死者の悪口を言ったからと言って何かが起きるわけではない
死者の悪口を言ったからといって、その死んだ人が普通の人間ならば問題ないと思います。
特に亡くなったのが、政治家だったら、反対も賛成もいろんな思想があるわけですから、その思想を180度変えてしまう必要はないと思うんです。
そんな感じで意見を変えてしまうことは危険です。
後で何かあったとしても、「あの時死んだ人の悪口いったからだ」なんて気にしなくてもいいです。
悪口は一般的には運気を下げる
悪口を言ったとしても何も起きないけれど、一般的には、「生死にかかわらず悪口は悪業」だと言われています。
自業自得というカルマの法則で悪い事が起きる、自らの運気を下げる、占いでは五黄の方位を取ったのと同じと考えられています。
また、愚痴や不平も暗剣殺を取るのと同じです。
亡くなった方を冒涜するという心根は、時に自分にとってマイナスを引き寄せるということはあると思います。
亡くなった方も好きで亡くなったわけではないでしょうから、わざわざ追い討ちをかけるような言葉を発すれば、ネガティブなものを引き寄せる可能性もあるかもしれません。
だから私の考えるいい最善の方法は「話題にしない」ことだと思います(笑)
嫌いな人が亡くなったとしても、その場合は意見を述べるんじゃなくて「気にしない」とか、「話題にしない」のが一番かな、って思っています。
高い心境で暮らすこと
人が亡くなると気持ちが滅入り、ああだったこうだった…とマイナスに引きずられそうになります。
でも、そうではなくて、平然と高い心境で暮らすことです。
毎日一生懸命努力し、誰かを下げるのではなくって、自分を高める努力をする。
そのようにすれば、マイナス感情も自ずと浄化するでしょう。
まとめ
亡くなった人はみんな神格化されている気がする…って思いませんか。
亡くなった途端にいい人扱いされるのは、宗教が思想に根付いているからといえます。
でも、嫌いな人、好きじゃなかった人だったら、無理にいい人にしなくてもいいと思います。
それで呪われることはありません。
だけど、自分へのマイナスを考えると、「気に止めない」という方法がおすすめです。