SNSのメリットってなんでしょうか?
人とのつながりが容易になった。気軽に人と繋がれるようになった。
友だちの友だちと、どんどん自分の輪が広がっていく。
ときには、さまざまな感情を共有でき、寂しさを感じにくくなったり孤独感が和らいだりした人もいるでしょう。
ですが、その影で傷ついている人もかなりいるはずです。
そんな、SNSの心無いコメントで悩む人に向けて、ご紹介したいと思います。
SNSはどういう存在?
結構今の若い人にとっては、たんなる、友だちとの連絡だったりに使ったりと、「つながること」は容易いものです。
なぜなら、ケータイで学生時代から人と繋がっていることが当たり前だからです。
此処から先はオンライン、此処から先はリアル、なんて境目が特にありません。
そして、自分から関係を切らない限り、逆に途切れる、ことってありません。
逆にケータイがなかった世代って、特に気軽に繋がれることを奇跡的に感じる様子です。
ただ、どの世代でも、必ずしもSNSが良い方向に働くわけではないのです。
Twitterを見ると、いいねの数が気になる。
写真を見ると家族が増えていたり、出世していたり、幸せそうな風景が広がったりしている。
そんな様子を見て悶える自分自身も嫌になったり、ときに負のスパイラルに陥ることもありますよね。
SNSで、ひどいコメントを書く人の存在
日々の出来事を発信しようとTwitterやFacebookへの投稿を始めた人も、心無いコメントも含めて悩んでいませんか?
仕事をしながら、なんとなく、延長線上で、宣伝活動をスタートする人も居ますよね。
それで多くの人が体験するのが、個人攻撃&悪口です。
なぜ、こういった心無いコメントが届くのかということについてご紹介します。
仲間たちも同時に悪口を言う
心無いコメントの特徴としては、「悪口を言っている人がいると、その仲間たちも同時に悪口を言っている」ということです。
SNSって、複数のやりとりが残されていたら、すぐ分かるんですよね。
悲しいことに、世の中の多くの人が「周りが悪く言っていると自分も言う」んですよね。
周りがなんと言おうと「自分はそう思わない!」って強く言える人は理想です。
だけど、多くの人は、周りの人に合わせてしまうんですよね。
匿名だからいいと思ってる…言葉への責任が薄い
心ないコメントを平気で届けることができる人は、見られていないから、フォローしていないからいいと思っているのです。
もしくは匿名だからいいと思っているのです。
SNSは、本名を名乗らなくてはならないわけではない。
書いた本人は軽い気持ちなんでしょう。
もうそんなこと発信した覚えすらないと思います。
でも、書かれた方は、言われた方は、今でも覚えている。
結構前の話でも、現に私は覚えています。
心無いコメントに傷つく…そんなあなたへの対処法
私のように、心無いコメントや、そこで知り合った人とのやりとりで傷ついていて、それがトラウマになってしまっている人もたくさんいるのではないでしょうか。
そっと、SNSから離れるのも一つの手段。
他に、心がけることってあるのでしょうか。
自分は、発信する言葉一つ一つを大切にする
SNSは気軽で便利なツールかもしれないけれど、軽い気持ちで発言している人がたくさんいるのも事実で、距離が近すぎると、怖い目にあうのです。
だからといって、そこから離れる行動が必ずしも、正解とは限りません。
今の時代、SNSで仕事のやりとりをしたり、社会の情勢を知ったりと必要不可欠なものでもあるからです。
だからこそ、大事なのは自分は、発信する言葉一つ一つを大切にする。ってことです。
自分はその他大勢みたいにならない。
そう決めるだけで、そういった人たちと一線を画すことができます。
いわば、自分と他人と、やることの境界線をはっきりと引くということです。
弱いんだけど、それを強さに変換するというか、その人達と同じような人間にはならないことが解決策の一つです。
受け流すことができない人はできないことを知っておく
心無いコメントと言っても、その内容は、結構幼稚で、小学生が誰かをバカにするときに使うような言葉だったりします。
気にするような内容ではないということは、頭ではわかっているつもりでも、たとえば私の場合も、心が弱いので、その隙間をふいに突かれるとすごく傷つきます。
「気にしないように…」と蓋をしていても、それが逆効果になり、痛みが拡大していきます。
だけど、受け流せない人は、経験上、どのように頑張っても受け流せないのです。
だから、シンプルに排除してしまうのもいいのかもしれません。
自分を傷つけてくる人たちに、完全に向き合える人ばっかりではないってことを知っておくといいでしょう。
結果的に疲れて損をするのは自分だとしたら、離れることが正解です。
どう考えたのか、感じたことを開示する
傷ついた経験を「どう感じたのかを開示する」のが良い方法です。
自分のメンタルヘルス(心の健康)を大切にするのはもちろん、辛い経験や心の痛みを「自己開示ツール」に変えてしまおう。ってことです。
嫌な体験をして心を痛めている人はたくさんいますので、それを言語化すると作品になるのです。
書くことで、投稿することで、気持ちがスッキリすることもたくさんありますよね。
誰が読んでるかも分からないサイトでも、あなたの場所があるなら、そこで言語化しましょう。
私はこういう場所を見つけたので、少しずつでも、気が向いた時に、更新しているんだと思います。
「無頓着でいること」…周りがどう評価したとしても関係ない
世の中には自分の利益のために平気で誰かを陥れる人もいます。
そんな世の中で、周りがどう評価したとしても、自分が自分で居られるようにすることが必要です。
私はもともとすごい無頓着な人間で、夫にも「自分と関係ないことに関しては、とことん無頓着」って評されています。
私は、その無頓着な性格がプラスに働いているって感じるんです。
無頓着な人の性格として、人の目が気にならないことが挙げられますよね。
人の目を気にする人ほど、自分を良く見せたり欠点を隠したりする努力をします。
しかし、無頓着な人はそういった努力をしようとしません。
別に自分の欠点に気づかない訳ではなく、気づいたとしても直そうとはしません。
それは、人からどう思われても気にならないからです。
人からの批判や内心どう思われているかなども気にせず、こだわらない無頓着さが心を守ります。
私自身は、関心があることなら、情報収集や、チェックは欠かせないし、欲しいものがあればお金を優先的に使います。
休日一日、空いている時間ができれば、他人と関わるよりも趣味に使うことをよしとしてます。
多方面に気配りするよりも、今は「個」の時代。
だからこそ、無頓着で居ましょう。
その無頓着さこそ、心を守ってくれると思います。
まとめ
心無いコメントも、アンチも、受け流す…。そんなメンタルでやっていける人ばっかりじゃないですよね。
ときには傷ついて、立ち直ることができなくなる人もいるでしょう。
それが原因で鬱になってしまう人も。
私もそうですが、あえて、そこから離れる、自分の開示ツールや場所を探しましょう。
他人に無頓着であることが、逆に新しいかもしれない。
そして、自分は言葉を大切にしていく生き方も、自分の心を守るためにいいと思うのです。