「悩み」とは何か?
このブログも、お悩みに関することがテーマだけど、「悩み」って聞くと、何か苦しくて、辛い…そんなマイナスイメージととらえる人も多いでしょう。
私は、何も「悩みをなくそう!」なんて思っているわけではないし、悩みがあるということも、不安定になることも、頭が良い証拠だと思うんです。
しかし、時には一人ではどうしようもないこともあるから、そんな時には周りの力を借りることも必要です。
そこで、悩みとはなにか?っていうことについて今回はご紹介します。
「悩み」とは何か?
そもそも、「悩み」とは、どういうものなのか…?
「悩み」や「不安」の存在は、嫌われがちです。
だけど、「悩み」や「不安」は、ネガティブなものではないのです。
実際には、しっかりと頭を使える「賢い人」ほど大きな悩みを抱えていたりするものです。
なぜかっていうと、そもそも、人間は苦悩する存在だし、同時に、苦悩に耐える存在だからです。
脳が高度に発達しているから故生まれるもの。
人間の脳は高度に発達し、その結果、賢く生きるための知恵を有することが可能になりました。
人間以外の、他の動物が、悩み苦しみ、自殺することってありませんよね…?
これは他の動物にはない優れた人間の特徴であり本質といえます。
人は「満たされない」が故に苦悩しますが、「満たされた」が故にも苦悩することもあります。
学歴はよく、お金もあり、愛され、人望まである。一体、何が不満なの…?なんて人もいますよね。
それ以上、何を求めるの?
それは、優れた人間だからです。
悩めること、もっと求めるのは、高尚な生き物だからこそです。
悩んでしまう人へ…「悩み」への考え方。
「悩み」ってなんだろう?って考えた時に、マイナスなイメージだけではなく、プラスに捉えることが、私達には必要かもしれません。
そうすれば、もっと自分の頭で「考えること」が、当たり前になるはずです。
引きずらずに、能天気に生きていくことや、前向きに、受け流して生きていくこと。
「深く考えない…」だなんて、むしろ、そっちの方がマイナスではないでしょうか?
激動の時代を、何も考えずに、生きていけますか?
不安をふっとばすのではなく、「悩みの捉え方」を少し変えてみましょう。
レジリエンスの強い性格と弱い性格があること。
同じコロナウイルスにかかっても、風邪症状で終わってしまう人から重症化して亡くなる人もいます。
このような個人差が出るのは、人の体には免疫と言う病気にかかりにくい抵抗力があり、この免疫の力が個人によって異なるからです。
心の病気に関しても、同じストレスを受けながら何も感じない人もいれば、心の病気になる人もいます。
例えば、災害の被害を受けると、2割くらいの人がPTSDという病気になります。
同じ被害を受けながら8割の人がPTSDになりません。
これは、人の心にも体の免疫に似たものがあり、その差によって、心を病む人と病まない人がいるのです。
このようなストレスへの心の抵抗力をレジリエンスと呼びます。
レジリエンスとはストレスを跳ね返すという物理の言葉から来ていますが、こちらの心の免疫に相当するものがレジリエンスであり、「心の強さ」と言えるでしょう。
レジリエンスは脳の機能など様々な分野で研究されていますが、環境、性格、能力因子などが複雑に影響し合うので、原因を特定することが難しいと言われています。
- 環境因子(ex, 社会的支援)
- 先天的な個人内因子(ex, 楽天的性格)
- 後天的な能力因子(ex, 問題解決能力)
これらの3つの分類が最も広く支持されています。
たとえば、ある人が行っている心理的な落ち込み脱出法を、別な人は行っていないことが簡単に想像がつきますよね。
その人の特性を簡単に変えることはできませんが、逆に言うと、色んな免疫タイプの人がいるからこそ、世の中が発展するし、そこから、ワクチンや対処法が生まれるのです。
自分を必要としてくれる人がいたらいい
ちなみに、私はレジリエンスがめちゃくちゃ弱い性格です(笑)
だけど、そんな自分でいいと思っています。
誰に何を言われようが、改善する必要なんてないんです。
自分は自分です。
そんな自分を愛し、選んでくれる人だけでいいんです。
心の抵抗力が弱いなら、心の抵抗力が強くて、「受け入れ度量が大きい人」にサポートしてもらえばいいって私は思います。
悩むことは、誰かのためになること
「悩み」を持っていることがマイナスだってなぜ言い切れるのでしょうか?
大事なのは、悩みを抱えた時に、悩む自分を否定しないこと。
勘違いしがちですが、悩むこと自体、意味のあること、価値のあることなのです。
フランクル曰く、「苦悩とは人間の業績」で、現在の悩みは誰かの役に立つのだと昔から信じられています。
人間は、悩むことによって向上し、進化してきました。
もし、今の悩みを解決できたら、それは「知恵」となって、将来的に同じ悩みを抱える人を救う可能性があります。
また、同じ悩みを抱えないように自身の体験から予防策を提供することもできます。
闘病記もそうですが、鬱病など「心の病」を体験した人がブログで情報を発信すれば、それを読んだ人が癒されることもあるでしょう。
ひとりのある人間の、ある「苦悩」は、何かのため、誰かのために役に立つ意味あるもの。
悩みにはこういった「世界開放性」があるのです。
外の世界に目を向けた、そんな「利他の精神」が、悩み深い時でもあっても、私たちの心を強くしてくれるのです。
「悩む」と「考える」
私は、過去にラジオを聞いていて印象に残った言葉があって。
とあるアーティストが『「悩む」っていい方をしないで「考える」って言い方をするべきで、考えることはむしろ必要で、別に何も頑張らなくていい。』って言っていたんですよね。
それは本当にそのとおりで、悩むという言い方をするから、くよくよしたようなイメージになる。
けれど、ただ考えているだけ…って思うと、思慮深いイメージになります。
悩んでいる=頑張らなきゃいけないってこともないし、「ひたすら考えを深めるだけ」でも成立するのです。
悩みや「不安」は人間の普遍的な問題。
「悩み」や、「不安」って人間が普遍的にかかえているものです。
悩みや、不安というのは、すごく奥が深いです。
反対に、不安を感じにくい人は、コロナだろうが何だろうが、ほとんどの問題を自己解決できちゃうことが多い。
不安の重みは人によって違うけれど、だけど不安や悩みは普遍的で人間が命や体を守るために、頭脳が発達したからこそ生まれるもの。
なんで私はこんなに悩んでばかりなんだろう…って苦しむ必要はなくて、そういう繊細さは「生き残り」が必要な令和な時代だからこそ、持っていて良いのだと思います。
まとめ
人生に挫折や苦しみは当たり前。
人間である以上、生きていれば悩みの一つや二つは抱えているもの。
悩みが解決したと思ったらまた次の悩みが出てきてしまう…。
だけど、悩み苦しむことで視界は開け、人生の段階がレベルアップしていくって言えます。
それは高尚な生き物だからこそです。
悩めば悩むほど思索は深まります。
深く考えること、それを楽しむことが幸せになるコツではないでしょうか。