【本ページはプロモーションが含まれています】

問題に関係ない人を巻き込む力(エナジー)とは?善と悪は表裏一体ってこと

最近のあなたの心のなかで、何かの問題に直面し…気持ちが高ぶったり、イライラしたりする時、結果的に自分で自分の感情を内側でコントロールすることが出来ていますか?

それとも…自分を傷つけたり、誰かを巻き込んだりして発散していますか?

関係ない人を巻き込む人をどう思いますか?

そんな悩みを持つ人に、「周りを巻き込む」力や、それらの対処法についてご紹介します。

問題に周りを巻き込む力…それは誰もが味方が欲しいから

  • いっしょになって言ってほしいからって、周りを巻き込む
  • 自分の問題と関係ない人を巻き込む
  • 味方になってもらいたいから、周りに言いふらす
  • 自分の都合で、そういうメンタルではない人も巻き込む

巻き込み型人間や、力(エナジー)とは…自分の感情が高まり、自身の内側でコントロールできなくなると、身近な誰かや、過去につながりのあった誰かを何らかの手段で脅かすこと。

それは、助けを求めるのとは少し違います。

いわば、関わることへの「強制」です。

こういう定義を書くと…「自分だ!」「あの人だ!」って感じる人がいるかもしれないけれど…。

巻き込み型人間は…基本的に感情優位で、直感型の人たちが多く、スタイルも、子どもの様に感情的であり「考えを練って行動」というよりは「気がつけば行動(巻き込み)」に近いのです。

最近のあなたの周りにそういう人がいたり、または自分で自分の感情をコントロールすることが出来ていますか?

自分の問題に他人を巻き込むことについて、なぜそれが悩みにつながるのか…ってことをみていきましょう。

「馴れ合い」であり共に依存する関係…無理が生じる

いつもその人を巻き込み、その人と一緒に戦うことを期待する…それは、「馴れ合い」のような、共に依存する関係かもしれない。

愚痴をきいては、慰めて、問題が起これば駆けつけ、次第に相手の「満足」のために存在するような。

だけど、そういう関係って、どちらかに無理が生じるのは当たり前です。

なぜなら、お互いが、対象について、常に同じ感情を持つとは限らないから。

感情には怒りや、喜び、イライラや、不満…色々あると思うけれど、それを常に共有できるわけじゃない。

たとえば、私は、他人の噂など気にならないし、他人のプライバシーを誰かに漏らそうとは思わない。

巻き込みたい人の愚痴や怒りに付き合えないと、相手は「もっと前向きな話はないのかなぁ」と思うようになっていくし、そういう小さな苦痛が積み重なって、心が重たくなっていく。

「この人も同じことを感じるだろう」っていうのは、甘えというか慢心。

違う人間である以上、いつも、どこでも、相手と「同調」できるなんてことはありえないってことなんです。

醜い部分を共有することになる

人を巻き込むということは、素敵なことだけではなく、「醜い部分」を共有してしまうこと。

自分は、そう思っていないってことも、聞いてしまう、耳に入れてしまうことで、相手と同じことを共有することになるってことです。

たとえば、誰かの悪口についても、一度口にしてしまえば、その事実は消えないし、後で苦しむことになることも。

善と悪は表裏一体…皆が一つにはなれない

今回のウクライナ騒動を例に挙げると、一方的な立場 (今回は西側諸国)だけの情報が流れていることに気づくはず。

ちなみに、私はウクライナは無事であってほしいけれど、ロシアへの経済制裁や、日本国内での反戦デモは大反対だし、この様な事を日本で行うのは止めてもらいたい。

なぜかっていうと…日本にだって、他の国にだって、多くの命と財産や生活がある。

関係ないけれど、プーチン大統領の若い頃はイケメンで、「巨悪な“強い力(ちから)” 」を持ったダークヒーローという感じで、魅力的だと私は思う。

なんでそんな悪人を?って思う人もいるかもしれないけど、ロシアとウクライナのごちゃごちゃは約800年以上前から存在し、ウクライナは近代になって独立国家になった…クリミア騒動を経て現代へ至るけれど…西側の主張で、「独裁者や独裁政治、軍事侵攻は悪」だとか幼稚な「人道主義」の一面だけを見ていていいのか?

ロシアにもロシアの言い分があるだろうし、仮に悪いとしても、双方の問題でとどめておけばよくって、周りが巻き込まれる必要性があるのか…?

戦争や紛争ですら、考えていくと、さまざまな疑問が生まれてきて、善か悪かはもちろん…世界の別の視点から見ると、コロっと180度見方が変わってしまう。

善悪すら、180度変わってくる世の中で…周りを巻き込めば巻き込むほど、紛争の火種はより一層大きくなり…次第に誰も消すことができなくなるだけなんですよね。

自分の価値も下がる

自分の問題に他の人を巻き込んでみたり、その逆もそうだけど、そういう行動をすることは、同類だとみなされることです。

次第に、「あの人には近づかない方が良い」と囁かれてしまったり、巻き込まれる相手次第で、自分の価値も下がるということもあるでしょう。

自分の行いが清く正しくても、誰かの問題に巻き込まれてしまえば、自分の価値やイメージが暴落する…なんてこともあるんです。

自分の問題に他人を巻き込む人たちへの対処法と考え方

ちなみに、私も人の紛争に巻き込まれるのが嫌いです。

誰かを心配したり、助けることもあるでしょう。

私は自分の気持ちに正直だから、自分がその人を「助けたい」って心から思ったときだけって思っています。

今までも、これからも、私は自分が怒り狂ってもいないのに、陰口を叩いたり、争いに参加することはできないです。

同じことで悩んでいる方に、対処法をご紹介します。

巻き込みをする人は寂しがり屋だってこと

巻き込みをする人というのは、怒りの感情コントロールがまったく不能な人たち。

それ以外にも自分のプラスになるためなら目の前の相手に対して…カジュアルな巻き込みをしてきた人で、それを自覚していません。

その理由の一つが、(巻き込み型人間は)自分以外の相手(他人)に対して共感する能力がないからということと、性根は寂しがり屋である…ということ。

子どもの頃から慢性的な不安を持っていて、独りぼっちじゃ嫌だなぁとか、誰かに頼っていたいな、仲間がほしい、という気持ちが存在しています。

それも、本人の意識しないところでです。

たとえば、仕事でも、誰かに同意されたり、応援されると…安心するけれど、周りや、部下が「No!」と否定するとなると、怒りをぶちまける…という具合。

「誰かに頼りたい」という依存心があるものの、それを自覚することなく、むしろ自分は心理的に自立していると否認しています。

それで済むならいいけれど、巻き込みができなければ、心の中の喪失不安が強まり…結果として怒りの感情を露わにします。

身近な誰か、あるいは過去の誰かに巻き込みというカタチで攻撃へとつなげていく。

このように、実は巻き込まれてしまう側ではなく、巻き込む人の方に心理的な原因があることを知っておくと、理解できるかもしれません。

誰かに巻き込まれそうになっても自分の頭で判断する

誰かがこういっているから…っていう形で同意している人もいるでしょう。

だけど、それが本当に善いのか悪いのか考えたことはありますか?

先程述べたように、時代や状況が変われば、善とされていることも悪になるし、悪とされていることも善になったりするのです。

善悪の判断が難しいものは、日常にたくさん転がっています。

善悪どちらかにきっぱり分けられるものはほとんどありません。

だからこそ、常に考えることを怠らず自分の考えをしっかり持ち、物事を多方面から見極めて行くことが大切なのです。

自由であるためには必要な選択をする

巻き込み癖がある人からは、自分から離れていくことも一つの「選択」です。

これ以上関わっていくことが苦痛だと感じたら、それは離れれば良いだけのこと。

別に「自由でいる」ということは、相手の不幸を望んだり、評判を落とそうと画策することとは別です。

距離を置いてみて、周りが見えるようになってみると、巻き込み癖や力がある人が、周りから敬遠されていることにきづくでしょう。

だけど、実際、時間が経てば、どうでも良いって気持ちになるでしょう。

自分で自分を縛っていた巻き込みの何かから解放されると、自由になれるのです。

ときには、恋愛を含む、良い悪いでは片付けられない人間関係かもしれないです。

だけど、自由であるためには選択をする時も必要なのです。

まとめ

嫌な物事、自分にプラスにならないこと、思ってもいないことに巻き込まれていませんか。

自分の意志に反して、操られていたり、いつも力で左右されていると感じていませんか。

だけど、それは相手や、彼らの問題であって、あなたの問題ではないのです。

人の気持ちは、それぞれで、簡単に誰かが決められないのです。

その人の問題に過ぎないことから、開放されて自由になりませんか。

おすすめの記事