カウンセラー的な意見だと「一人一人、生きる意味がある」なんて言葉を聞くことも多いけれど、「生きる意味」ってものを見出して、それに向けて頑張る…なんて、逆に辛くないですか?
生きる意味を見つけないと…って悩んでいませんか。
そこで、「生きる意味」を問いかけている人に、思い込みを捨てて、楽になる方法についてご紹介したいと思います。
生きる意味があるという前提を疑え
生きる意味で、悩んだ時、まずは生きる意味があるという前提を疑えって思う。
私が大学4回生の就職活動をしていた時、色んな会社説明会に足を運んだ中で、印象的だった社長がいる。
根性論だけで生きてきて、勉強も出来なさそうな、足だけで営業活動をしてきたような社長。
そんな社長が説明会で、私に『人間の生きる意味は、自己の成長である』とご高説を語り始めた…( -_-)
この頭が悪そうな社長曰く「これは私の会社、使命感を持ち、こだわりを持って、お客さんに喜んでもらう。」「自己の成長こそが、生きる意味であり、やる気のある人間だけが今後生きる意味がある』そうで、説明会では、うんうん、と就活生が頷いて話を聞いているっていう。
はっきり言ってウザくて、頭が悪い。
「絶対にこの会社に先はない」って思い、私は途中退出した経験があります。
この社長は自己満足おじさん。
なぜかっていうと、「自己の成長」なんて、ただの自己満足。
私の会社、ではなく、一人でやってるわけじゃないから、みんなのもの。
このおじさんが、自己成長をしようが、世の中は回っていて、それよりもすごい人は遥かにたくさんいる。
人間が生物として出しているCO2の排出量なんてのは変わらないし、自己の成長が生きる意味なら、成長していない人は生きる価値がないの?
私は、労働量なんて極力少ないほうがいいと思ってるし、やる気なんてないから…。
はっきりいって人間が成長するかどうかなんて、地球の歴史からしたら、枝葉が5センチ伸びるか伸びないかの違いでしかない。
もっというと、人間が滅亡したほうがよほど世の中のためになる。
自己の成長なんて目指さなくていい
私の上にも、私が絶対に手の届かないほどの『上には上』がいます。
ま、たしかにこういう人間は、下の下。
負け犬もたくさんいるけれど、大事なのって、自分が如何に「たいしたことがない」のかってのが理解できているかどうか。
「成長することが生きる意味」的な記事や情報は世の中にたくさん出回っています。
そして、そういう価値観を持つ人間のせいで生きづらいなぁと感じてしまい、何かしようと無意識に探しがち。
だけどよく考えて欲しいんです。
人間の生きる意味なんてのは果たしてあるんでしょうか?
「生きる意味(=使命)」を考える上で、大切な前提
「自分に何か足りない」「何か充実していない」と感じるとき、実はこういう「生きる意味」みたいなことを唱える人間がいるから深く考えてしまってるってのがある。
なので、生きる意味を考えてしまう方に、そのいらない思い込みを変換する方法をご紹介したいと思います。
残念ながら、生きる意味なんてないってこと
最近、多くの場所で言われているように、私は、生きる意味なんてのはないって思っている。
たとえば、ウイルスについて取り沙汰されているけれど、虫や細菌に生きる意味がないのと同じで、第三者目線で考えると、地球上の生物は全て意味がないって考えることができる。
地球の熱循環のシステムの一部としての機能はあるかもしれないけれど、それを果たしているだけ。
ダーウィン進化論でも、自然および「自然の手先」である生物(人間)に、「善」や「悪」のような倫理的価値は全く無いとされていて、自然も生物も、ただ科学的に「あるがゆえにある」だけ。
これが結論なので、それに意味付けをしても、辛くなるだけ。
なら、あんまり生きる意味にこだわらないほうが楽じゃないかって思います。
自分で意味を見出したら、自分の中で留めておく
生きることに意味がないとしたら…あとは、各自で勝手に「生きがい」とやらを心で感じていたらいいと思う。
ゲームが生きがいでも、スイーツが生きがいでも、いいんじゃない?
自分の意志でこれが生きる意味だな、って考えているなら、それでいい。
でも、先程の会社の説明会の社長のように…「それを周りにいわなくていい」、「押し付けなくていい」って私は思う。
自分の中でとどめておくことが大切。
生きる意味についての押し付けって、酷い宗教だって思う。
また、ベースとなっている価値観を今一度フラットに考えてみてください。
私たちの思考には「結婚や仕事が一番大事」だとか、自分で思っている以上に、「生きる意味はこんなものだ」って、他人の価値観(その多くは、世間の常識)が入りこんでしまっているから。
人間は世界そのものを見ることは出来ない
人は自分のことが一番見えない。
もっというと、「人間は自分の存在意義(世界そのもの)を知ることはできない。」
たとえば空間や時間といった概念を持たない宇宙人がいたとしたら、世界は全く別のものとして彼らの目に映るって思う。
要するに、変換器(人間や宇宙人)によって世界は姿を変えるということ。
言い換えると、人間は空間と時間を用いて現れた、一定の世界しか見えないので、世界そのものの正体を知ることはできない。
だから、「生きる意味」なんて巨大なテーマは、私たち人間がいくら頑張って考えても答えに辿り着くことができない問題だってことになる。
人間の脳は見たいものだけを見たいように見る
あなたの見ている現実は、あなたが選択している(意識とは関係なく)というのが本当のところ。
例えばいまあなたがいる場所、どんな情報が読み取れますか?
たとえば、脳が勝手に「見ないようにしよう」と決めて捨てている情報、これを「スコトーマ」と言います。
スコトーマとは心理的盲点のこと。
何か一方を認識することで、他のものを認知しづらくなる状態。
人間の存在理由について考えるとき、人には生きる意味がないなんてことを「見ないように」しているって私は思う。
なぜ宇宙が生まれたのかがわかれば、人間の存在理由もわかるはずで、科学には解決できない問題。
宗教も納得する答えを提示してくれない。
つまり、現在の科学や宗教では宇宙や人間が存在している理由を説明することは不可能な訳。
でも、何か絶対的なもの、自分が地に足をつけて生きていけるような疑いようのない理由や目的がほしいって悩む人は増えている。
でも、実は目的や、概念みたいなのも人間が作ったもの。
「存在理由」なんてのも「生きる意味」みたいなものも、そんなものはもともとなかったものだ、って考えると生きやすくなるんじゃない?
「生きる目的なんてない。」… どうせ目的がないのであれば、この表面上の人間社会を楽しんでいこう、適当に余生を生きる、みたいな感じでいくのが楽なんじゃないかって思います。
まとめ
- 「なぜ人は生きているのだろう?」
- 「どうして私たちはここにいるんだろう?」
- 「生きる意味って何?」
こういうことが頭に浮かぶと、生まれたからには何かお役目があるのではないかと感じてしまったり、自分の生き方、生き様がどうだって迷っちゃうと思う。
だけど、生きる意味なんて本来、存在しなかった概念。
それを、考えたりした結果、何かしらの不足感を感じ始めます。
言わずもがなですが【人生=日常の積み重ね】。
ただ、命はそこにあるだけ。
「考えないで、できるだけ楽しく暮らす」ってのを目標にするといいんじゃないかと思っています。