あなたは、幸せとはなにか?と聞かれて、すぐに答えられることはできますか?
多くの人が、他の人と一変も変わらないような答えを導き出すと思います。
それでうまく自分の答えが導き出せず、世間や、周りの常識と同じ幸せが思い浮かぶなら…。
自分は幸せの偽物像に惑わされている可能性があります。
幸せとはなにか?と考えた時に、型にはまっていませんか?
ぜひ参考にしてみてください。
偽物、嘘の幸せに惑わされていませんか?
世の中には、嘘や、幸せの偽情報でまみれていると言えるでしょう。
お金がある方が、幸せ、またその逆もしかり。
幸せと聞くと、まるで家族で和気あいあいと、笑顔で過ごすコマーシャルのような映像、ビジョンが思い浮かび、あなたの思考を邪魔していませんか?
私達は子供の頃から、偽物の幸せ情報が頭にインプットされています。
スピリチュアルが好きなひと、勘が鋭い人は、この偽物情報にすでに気づいているかもしれません。
子供の頃にこんなことはありませんでしたか?
- 進学をしろというからとりあえず進学をしていた
- 周りとの協調性、空気を読むことが素晴らしいと教えられてきたからそうしている
- ある程度の年令になったら、結婚をして子供を生むことが当たり前だと思っていた
- 給料が上がり、マイホームを購入し、旅行に行けることが幸せ
- 時々自由にやれたらそれでいい
大抵の人が、このような考えを持っていて、子供の頃から、この路線を大きくはずれないのが、幸せのありかだと植え付けられています。
しかし、これがすでに偽物の幸せ情報になります。
そうなると、「道を外れることは幸せではなく、こんな当たり前が幸せで、一番だ」と反論が頭をよぎる人もいると思います。
しかし、一般的な人生を送っていて、本当に幸せなら、迷うことも苛立つことも、人生で不満を抱えて「楽しくない」と感じることはありません。
つまり、本当に幸せを感じる人は、この規範を「全く気にせず心から自由に生きている」という人になります。
正確にこの教育のトレースの幸せの道を来た人は、惑わされている状態になっています。
なぜ偽物の幸せ像を私達は思い込んでしまうのか
今、私達が、幸せだと思いこんでいる形や、在り方は、私達が子供の頃に、与えられてきた偽物の幸せ像だということがおわかりでしょうか。
これをなぜ思い込んでしまうのかというと、いくつかの理由があります。
規範から外れた人は、社会システムから外れる仕組み
人生を幸せにするための、情報を見極めて光・影両面の自分の人生を生きること
インターネットは大変便利ですが、逆にSNSなどが進化し、多くの人の人生が垣間見れます。
すると、人々が持つマイナスエネルギーを受け取ってしまうことになり、「私刑」と呼ばれるような誹謗中傷が起きます。
これは、一斉に自己都合で、人を晒し上げる行為で、多くの味方をつけて批判を行う行為をする人も情報に依存していると言えるでしょう。
また、反対にSNSに注力して、自分をぶつける人は、自分の存在意義を保つ、あるいは、自分の価値を定めるために行動をしています。
支配されている人は支配されている状態が心地よい
私達は、長い間、管理されてきたということもあり、誰のお伺いもたてず、行動に移せる人は実は少数派です。
誰しもが、家庭や仕事、多くの他人の目を気にして、生きています。
それはなぜかというと、本当の自由には責任を伴うもので、全てが自己責任になります。
行動に移す前に、お伺いをたてて、全て枠の中で、やるというのは、結局は支配されています。
これはなぜか?
支配されていることに慣れた人は、支配されていることに気づかないから。
支配されていることに心地よさを感じているからです。
虚像で生きる?実像で生きる?
物事は、光輝く一面だけとは限りません。
幸せとされる固定概念に沿って生きても、必ず、闇が出てきます。
実は、誰しもが、虚像(他人の価値観に合わせる)ことに、エネルギーを使っていると言われています。
他人の目線で、他人から称賛されたい、または、存在しない幻にエネルギーを使い、光の部分だけを放出させようとします。
ただし、そこには必ず、影が生まれます。
孤独や、迷い、不自由、他人の目を伺う愚かさが隠れています。
これらも自分の一部、感じることを汲み取っていけば、内側が繋がり安心感が満たされていく。
他人が意識の中にいなくて、自分の「快・不快」だけに集中をするというのが虚像から抜け出せる方法です。
「幸せの正解」を求めてもそれは所詮他人の幸せの価値観。
虚像で生きる?それとも、実像で生きる?
全ては自分で選ぶことができます。
毎日笑顔でなくても、一人が好きでも、たった一人でも、問題ないんです。
孤独でも、何が好きでも、本当はどっちでも良いから。
あなたの心が本当にそれを求めているのなら、人から認められる必要がありません。
まとめ
どんなものにも、光と影があります。
当たり前とされている幸せが光のみだと、思い込んでいるのは、なぜでしょうか?
「虚像」だからです。
自分の中に「幸福度」を測る物差しはありませんか?
もしも、偽りの幸せに惑わされてしまう…という人は、スマホの中の他人の人生を眺めることに時間を使わず、自分の人生を見つめる時間を増やしていきましょう。
ただ、光があって、影があるのは当然であり、自然のこと。
ありのままの自分の幸せの概念で、光も、そして影も含めて実像で生きていきませんか?