「なぜ、会社はイエスマンだらけになるのか」、「あの人はイエスマンばかり周りに置いているな」って思ったりしませんか?
たとえば、「うちの会社はそんなのいないよ」と言っている経営者ほど、実はイエスマンだらけだったりします。
こんな経営者がいるとその会社は悲惨な末路を遂げると思われていますが、実際そうなのでしょうか?
今回は、成功者と言われる人が、イエスマンばかり集める理由についてご紹介します。
なぜ成功者は、イエスマンを周りに置きたがるの?
ちなみに、私も、自分のことを成功者だと思っているけれど、周りにイエスマンしか置きませんね(笑)
基本的に、私のやりたいようにやるだけだし、私が好きなように生きるだけ。
何故なら私の人生だから。
誰の指図も受けないので、イエスマンしか置きたくない気持ちはとても良く分かります。
そこで、なぜ、イエスマンを周りに置きたがるの?ということについてご紹介します。
誰かの才能に乗っからなくてもいいから
大勢やチーム、プロジェクトでしか仕事ができない人は、「誰かの才能に乗っからないといけない」人です。
0から1にすることはできず、自分ひとりでは成功させるだけの才能がないので、良い意見も、悪い意見ももちろん取り入れなきゃいけない。
周囲の意見に耳を傾けたり、回りの人の幸せやお金のことを考えてしまう経営者は、人としては魅力的ですが、周りにお伺いを立てなきゃいけないし、協調性がないといけないのです。
一方で、誰かの才能に乗っかる必要がなく、0から1を作ることができる人、「自分ひとりの才能だけで」成功できる人は、どこまでもワガママで身勝手でいられるわけです。
極論をいえば、社会性に乏しい人が成功者になるといっていいほど 、こういう人は、極めてワガママ、でも兎に角優秀なので、自分に批判的な人はいらなくなるのです。
周りの「個人」で成功している人を見るとその傾向がありませんか…?
たとえば松本人志氏は、イエスマンで固めているという噂ですが、一人であれだけの才能があれば当然っちゃ当然ですよね。
必要になるとすれば、その人ではできないことを、「イエス」と言ってフォローしてバックアップしてあげる有能なスタッフだけです。
話し合いの時間が減り効率化できる
イエスマンばかりで固める人の特徴としては、我が強く、カリスマ性のような言葉で言い表しにくい魅力がある人などが挙げられます。
この人たちが人間関係をイエスマンで固めるのは、話し合いの時間を減らしたいという理由もあります。
話し合いの時間って本当に余計な労力を使いますよね。
仕事の場合だと、会議やミーティングなどのその度に作業が中断されて思い通りに進まずイライラする場面は多いもの。
基本的にスピード感やフットワークの軽さが売りになる業務だと、意見が合わない人といちいち話し合いで仕事が止まってしまっていては伸び悩みに繋がります。
そうした問題をなるべく払拭するために、イエスマンで固めるのは、仕事の進め方の一つ。
成功者や、カリスマ経営者とイエスマンの関係は、見方を変えればより利益が出やすいために最適化された人間関係なのです。
ついてきて欲しいと思っていないから
私の場合、私のやりたいようにやるだけなのはもちろん、誰かに「ついてきて」、「認めて」ってお願いなんて絶対にしない。
文句があったり、気にいらないなら、私の事を追うのをやめたら?って思っています。
世間一般的に考えて、応援して欲しいって思う人が多いと思いますが、成功者の考えはそうではないんですよね。
「一人でも十分すぎるぐらいやっていけるから」、むしろ反対するものは追ってくるな、って思っているわけです。
それでも「ついてくる人だけ可愛がる」ので、イエスマンばかりになるって訳です。
ポジションが明確になるから
基本的に、イエスマンを置くような成功者や経営者は、王様&女王様気質なのです。
肯定される人は「主」、肯定する人は「従」。
主となる人はその立場が引っくり変えるような事態を起こしたくないし、認めないわけです。
つまり、従となる人(つまりイエスマン)だけで良しで、それによって、自分のポジションを確実なものにしていくのです。
衝突を避けたいから
「大事な友達だから、あえて苦言をする」、「大事な人だからあえていう」みたいな人っています。
だけど、私は、私の友人や、同じ立場の人が居て、注意しなきゃならないような何かをしていたとしても「そっと距離を置く」という選択を取ります。
意見の食い違いがあるのが人間だけど、基本的に、イエスマンを周りに並べておきたい人は、その食い違いを衝突に繋げたくない人です。
人のアドバイスが役に立たないから
たしかに、適度に議論を交わすことは自分の意見が偏ることを防いだり、他の見方を取り入れて新たなアイデアを生むためには必要なことです。
だけど、やりたいようにやって成功しているのなら、人からの意見を取り入れたとしても、ダメになることのほうが多いのです。
だから人からの意見には、極めてシビアになります。
つまりは査定する人が正しい能力を持っているのであれば、たとえイエスマンばかりでもうまくいっちゃうんです。
自分の周りがイエスマンばかりだという自覚がある!どうしたらいい?
イエスマンで固めるのは何も大人ばかりではありません。
学生などの若い人の間でも、友達をイエスマンで固めて、自分の人生が気持ちよくあればいいとしてしまうことがあるように感じます。
私自身も、私を崇めてくれて、肯定する人しか周りに置かないし、どれだけ親しかろうが気に入らないことをいう奴は即ブロック&縁切りです。
私を誰だと思ってる?って感じですね。
では、イエスマンの自覚がある人はどうすればいいのでしょうか?
若い人なら少し考えたほうがいいかも
私の場合も、昔は私に反対をする人もいれば、私に意見を言う人もたくさんいました。
でもそこから成長して、「言うことを聞く必要がなかった」ことに気づき、そういう人を排除するようになった感じです。
ある程度若いうちは、色んな人と交流したほうがいいのかと思います。
そして、その後、自分を向上させることができたり、必要がない人たちだったと気づくことができれば、イエスマンで固めてしまうことになったとしてもいいと思います。
もう十分、交流はしたと判断したのなら、一つの道だと考えましょう。
別にイエスマンで固めたとしても、違う考え方を知ることは可能
“自分とは違う考え方や価値観を受け入れること”の大切さってものが強調される世の中。
ですが、別にイエスマンで固めたとしても、違う考え方を知ることは可能なのです。
価値観を知るのって、「いろんな人と対話をしよう」って意味ではないことをご存知でしょうか?
自分の価値観を広げたいと考えたときには、日頃の情報収集をしっかりすればいいのです。
新聞やテレビ、ネット上には日々おびたただしい量の情報が流れています。
たとえば、そのなかで自分にとって都合のいい情報や価値観の合う情報しか受け入れないでいるのではなくて、そのニュースに関してさまざまな意見が飛び交っていたら、それをチェックしてみましょう。
日頃、情報収集する際には、自分にとって異質なものにもアンテナを張るだけで、ぐっと知識の幅も、価値観も広がります。
何よりも、自分の心を守ろう
私がイエスマンを周りに置くのは「自分の心を守るため」だっていえます。
常に張り詰めた空気のある人間関係と比較すると、イエスマンで固めた人間関係は肩肘張ることもなくリラックスできます。
たとえば、私の周りの人なんて、私が何をしようが、怒らず許してくれる人ばかりです。
私が悲しいときも、楽しみたいときも、相手にしてくれる人ばかりで、否定してくる人なんて、誰ひとりいません(笑)
今の時代って、精神的な安心感を得られる人間関係の方が大事だと思うのです。
なぜなら、普段から否定的な言葉を言われる機会が多い世の中だからです。
SNSでも、世界でも、敵ばかり。
仕事で、成功しても、失敗しても、その都度、自分を否定されたりが当たり前で、疑うような意見が出てきます。
そんな世の中で普通に生きていると、その不安から逃げるために結局は、別のところに依存してしまうことになります。
そんな自分を守るために、イエスマンばかりで固めた自分に取って安心できる人間関係を構築することって大切だと私は思います。
まとめ
イエスマンで固めている人や、イエスマンばかりを集めていることに、否定的になっていませんか。
だけど、私はイエスマンだらけでいいと思っているし、成功しているなら、なおさらそれでいいと思っています。
物事には何にでも、デメリット、メリットはあります。
肯定的な人に囲まれていることで、健やかにいられるのなら、それでいいのです。