今は、自分の心が今どうあるかを分かっていない人がほとんどです。
そこのあなたも、自分のほんとうの気持ちを隠し通していたり、言葉と言動と心が裏腹だってことってありませんか?
愛情についても同じで、自分が本当に誰を愛しているのか?
「あの時実は私、とっても辛かった」なんて気持ちを自分で気づいておらず、裏腹に過ごしていると、それを手に入れることができません。
そこで、本当のその心の奥底に潜む本当の気持ちを明確にして、対面する方法をご紹介します。
理性的思考の心の本当の奥の底にあるもの
「あの時実は私、とっても辛かったんです。」
「実はあの時こう思っていたけれど、本当の私はこうだからなんだ」
「自分はこういう行動をしているけれど、本当の心の奥にはこういった寂しさがあるから、こういう行動をとっている。」
こんな風なことは珍しくありません。
それに、後から聞いて、相手が思いもよらない気持ちになっていたことを知る、ということがあります。
自分は気づかなくても、他人に問いかけられることで、自分が実は心に脆さや、密かに隠していて、出したくないものを持っていることが分かったりすることもあります。
- 楽しそうに見えるけど実は辛かったり悲しかったり。
- 辛そうに見えるけど実はとても幸せだったり。
- 楽しんでいるようでいて、実はとても退屈していたり。
例えば表面上はお金を否定していたとしましょう。
でも、心の奥底ではお金がほしいという気持ちがあったり、お金を沢山持つのは恐いという恐れの気持ちがあったり、自己受容ができていなかったり、お金に対して何らかの負の感情を持っている場合も多いです。
その逆も然りです。
言動と心が一致していることって実はそれほど多くはありません。
人の言動だけで心がすべて見えるのかと言うと、それは絶対に違っていて、実はコンプレックスやトラウマ、自分がこうでありたいからという理想があってこその、負の感情を振り切るためだったりするのです。
他人の心は見えないが自分の心も実はよく見えない
他人の心は見えませんが、実は自分の心もよく見えません。
「自分の心なら分かっている」と、言い切ることはできるでしょうか。
実は、他人の心だけではなく、自分の心だって、やっぱり目には見えないものです。
肉体なら鏡で見ることができますが、だけど心は鏡にも移らないし目にも見えません。
今、自分はどんなことを思っているのか。自分の中でどんな心が動いているのか。実は、非常に捕らえどころがないもので、これって非常に難しいのです。
どれだけ賢い方でも、自分の心や、潜在意識が分からず、裏腹なものを抱えていたりする矛盾を抱えています。
論理的思考のその底には
何かを分析している時や、計算している時や、計画を立てている時。
自分の頭で理解をしているとき、たとえば、「理性的な思考」を働かせているときは考えている内容が明確ですし、何なら言語化することもできます。
コンピューターは、人間の操作・命令に従ってこういった働きを実行するもので、頭脳も同じ働きをしています。
ただし、人間の心はそんな、コンピューターのように「分析」「計算」「計画」をするだけ、というような単純なものではありません。
そういった「理性的な思考」の底にも、それを動かしている元となる心があります。
その元の心の奥底には全く別のものが隠れていることが多いのです。
人前に出ている自分と心の領域は別
実は、そのように、人前に出ている自分、他人に出せる形に取り繕ったものであり「素の心」とは相当の隔たりがあるはずです。
これはなぜかというと、そもそも、自分の心は良いものであって欲しいという願望が私たちにはあります。
自分は立派な心を持っている、美しい心を持っていると信じたい。
「これが私の本音だ」という自分の理解もまた自分の「願望」というフィルターを通したものですから、「素の心」とは言えません。
全ての行動、人の前で出ている自分を突き動かす「元」であり、いわば、「理性的思考」さえもこの「本心」に支配されてなされているのです。
「理性的思考」が「コンピューター」に喩えれば、「本心」はそのコンピューターを「操作している人」です。
それこそが本当の「自分」ということになります。
最も大切なその「本心」が分からず、行動をしていても、モヤモヤして得体が知れない。自己に暗い心が、苛立ちや、不安の影を落としてしまいます。
多くの人が、これらを抱えて、仕事をして、恋愛をして、友達付き合いをして、育児をして、人生を充実させようとしています。
肝心要の「自分の心」が真っ暗闇の中にあるため、どこかいらだちや、不安が拭えません。
ですので、この本心がかっこ悪くても、醜いものであっても汚いものであっても、「明確に分かっている」ことで、実は安心して力強い一歩を踏み出すことができます。
その本質は、万人共通である
仏教では、人間の心の奥底にある「本心」について、その本質は、万人共通であると説かれています。
いや、人の心なんて一人一人、千差万別ではないかと思われている方が多いです。
ただ、それはあくまで表面上にどう表れるかという表れ方が千差万別になっているのであって、奥底をたどればその本質は、70億人いても皆、共通していると仏教では教えます。
どれだけ色んな人がいても、またどれだけ大人になっても、それは時代を経ても変わりません。
人間の本質であり、それこそが私の奥底に潜む「本心」の正体です。
自分は変わっているから、人とは違うものを求めている…
自分は人とは違うんだ…。
そう主張していても、実際には皆が一般的な普通の欲にとらわれています。
あらゆる思考を支配してあらゆる行動を生み出し続けている「本心」です。
心のなかで、一番叶えたい願いがなにか
このように仏教では、誰しもが共通で叶えたい願いを持っています。
人間は、最も強く心にあるものを叶えようとします。
みんな自分の心に鈍感すぎるのです。
なんで幸せを追い求めてしまうのか?
そう考えたときに、「他人の目にどう映るか?」ではなく、もう少し自分の心の奥の感情を見つめてあげてください。
恐いかもしれませんが、こうして自分の心の奥の感情としっかり向き合い心の奥の声を聞いてあげることで次第に表面と心の奥の願いが一致するようになり、あなたの本当に欲しい物が手に入れられるでしょう。
第三者に相談をしてみる
自分の心の感情に疎いのはすべての人共通です。
この場合、第三者である、占い師や、匿名で相談をすることで、自分の心の在り方がわかってきます。
自分が本当は何を望んでいるのか?
心の奥底に秘めている愛情、奥底に秘めていて、表に出したくないものはなにか?と振り返るには、時には他人の手を借りることも大切です。
そこで、自分ではない、客観的な視点から、気づきを得られることもあるからです。
まとめ
不安や、苦しみ、そして人生においてなんかモヤモヤしたりすることが多いという場合。
この場合、実は、自分の心の奥底に聞いてみるということが一番最高の方法です。
「なんでこればかり強く言うんだろう?」
「なんでこういう行動を自分は取るんだろう?」
発信していることと、本当の自分は真逆だったりするのです。
時には自分が直接わからない場合は、他の人の手を借りるという選択もアリです。
自分の心とコミュニケーションをして奥底にある、本当の気持ちがわかったら。
奥底で渦巻く欲の本性が分かれば。
表面的な言動はどうあれ、自分の心の奥底に素直に向き合い前進してゆく土台となるのです。