
グーグル検索で出てくる「断定口調を使う人はメンタルが弱い」「自信のなさの裏返し」という心理学的な解説がでてくるのをご存知だろうか。
私は全くそう思わないし、むしろ白黒はっきりと断定できない人間は判断軸が自分にないただの無能だと考えている。
ここでは、断定口調で人間性が決まらない理由をご紹介しよう。
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断定口調で人間性が決まらない理由!世間の的外れな勘違い

断定口調は偉そうだ、怖い、もっと「かもしれない」とぼかすべきだという意見があるが、私はこれこそ愚の骨頂だと考えている。
そもそも、トーン(口調)とその人の根本的な人間性をイコールで結びつけること自体がナンセンスだ。
使える「〜かも」という凡人の言葉を捨て、あえて難易度の高い「断言」を選ぶ。
その知的なストイックさは、逆にハイレベルだといえるのだ。
この理由をご紹介しよう。
「リアルな口論」と「表現」は全くの別物だから
「断定する人はメンタルが弱い」というネットの意見が的外れな理由、それは「リアルな口論」における心理学に過ぎないからだ。
人間関係の口論の会話の中で必死に「絶対にそうだ」と意固地になり、どこまでもマウントを取るのと、「これが正解」と位置づけするのとでは、目的も状況も180度違う。
前者は冷静さを失っているが、後者は沈着冷静だからだ。
この2つを一緒くたにして人間性を語る時点で、ナンセンスだと言い切れる。
自信があるテーマだからこそ断言できるという「事実」

美容師がハサミを使い分けるように、文章を書くプロは目的によって口調を使い分け言い切れる。
たとえば、アフィリエイトなら、読者を迷わせないために「言い切る技術」を使う。
さらに、人間性がどうこうではなく、単に「その分野についてめちゃくちゃ勉強して知っているから、自信を持って言い切れる」というだけのことだ。
知識の豊富さを「不快」と捉えるのは、ただの嫉妬や的外れな批判に過ぎない。
「自信のなさ」ではなく「覚悟」の表れ
情報発信において、「〜だと思います」と逃げ道を作る方がよっぽど簡単だ。
言い切るということは、クレームや反論のリスクを全て背負うということ。
たとえば、私の場合もそうだが、裏付けとなるリサーチ力と、その根拠、自分の発信に責任を持つ「覚悟」があるからこそ、力強い断定口調が使えるのだ。
「優しい言葉=良い人」という表面的な騙し絵に過ぎないから

「〜だと思いますよぉ❤」と柔らかい言葉を使い、無責任な情報を流す行為は果たして素敵なのか?
逆に、語気が強くても、相手の時間とお金を無駄にさせないために本音で語る人の方が、人間性としては遥かに誠実だ。
「明確な答え」を求めている人間に「Aが良い気がしますし、Bもありだったかも」なんて言葉は、無価値だ。
私からしたら、背中を押してあげることこそが、相手への飾らない優しさであり、よほど素敵だ。
言葉を濁す人間の「浅はかな心理」と避けるべき理由

世の中では、「うーん、まあ、そういう考え方もあるかもね」「〜かもしれません」「~思う」といった煮え切らない曖昧な言葉があふれ返っている。
断定的な言い方を避けることを善とする風潮は、私の美学に反する。
ここでは、曖昧な表現を使ってしまう人間の裏の心理と、それを避けるべき理由を暴いていく。
世界基準では「断定できない=信用ゼロ」で嫌悪対象だから
私は、中国雲南省、タイのルーツのクォーターで、日本人としてのOSがほぼ皆無だ。
そんな私から見た日本人は昔から「空気を読むこと」を美徳とし、断定口調でハッキリ話す人を「キツい」「自己主張が激しすぎる」と毛嫌いする。
しかし、こんな都合のいい常識が通用するのは日本という島国の中だけ。
グローバルなビジネスや人間関係において、濁して話す人間は、「自分の意見すら持っていない無能」、「不都合な事実を巧妙に隠す人間」という烙印を押される。
世界基準において、相手への敬意とは「自分の意思を断定し、はっきりと論理立てて伝えること」。
日本のガラパゴスな言い訳にして言葉を濁すのは、グローバルな視点で見ればただの「無責任な逃げ」であり、世界では通用しない甘えだ。
決断のストレスを他人に丸投げ!「責任回避」

「〜な気がする」と断定を避ける最大の理由は、「決断することから逃げているだけ」。
断定するということは、「責任を負う」ということ。
彼らは責任から逃げるため、無意識に「決断のストレス」を他人に投げているのだ。
常に他人に舵取りをさせる人間は、いざという時に相手はもちろん、自分さえ守れない。
「言質を取らせない」ための予防線
たとえば、私はこのブログでもそうだが、日常でもそうだが、言質をいくら取られようが、本体の私に何一つ影響しない。
一切の破綻なしで人生を送っているから堂々とできるのだ。
だが、彼らが絶対に「これが正解だ」と言い切らないのは、言質を取られて、後から文句を言われた時に困るから。
言葉を濁すのは、いつでも逃げられるようにドアを開けっぱなしにしているだけの、卑怯な防衛本能だ。
自分の軸が空っぽで中身がないから

断定口調で話ができないということは、そもそも「自分自身の確固たる意見や価値観」を持っていないからだ。
だが、多くの人間はそれを持っていないことを問題視せず、代わりにはっきりと言える人間を敵視する。
自分の芯(軸)が空っぽだからこそ、強い言葉で言い切ることができないことが問題なのに。
つまりは、断定せず、コロコロと意見を変えるの方が楽だという軸なし人間なのだ。
軸がないということは役に立たないということ。
そんな人間は、確固たる価値観を持つ人間の脳のキャパシティ(認知資源)と時間を奪い取る「エナジーヴァンパイア」そのものだ。
人間性ではなく、メンタルと「思考の解像度」の圧倒的な差ってこと。

日常の会話で「これはこうだ」と言い切れる人間は、圧倒的な「思考の解像度」を持っている。
「断定」とは、自分自身の哲学に対する絶対的な「宣誓」であり、なんとなくでは到達できない領域だ。
頭の中で情報を極限まで整理し、自分の答えを導き出す知的な汗をかいているからこそ、迷いのない言葉が口から出る。
断定口調は、曖昧な感情を切り捨てる鋭利な刀のようなもの。
「私が決める、だから全部任せろ」と伝えられるその度量は、平凡な人間には真似できない。
自分の足で立ち、自分の言葉で世界と対峙する。
トラブル対応力も危機管理能力もカンストしている、別格の器の持ち主だといえるのだ。
さて、どちらがメンタルが強いのか?論じるまでもない。
まとめ

曖昧な言葉しか出せない、相手の脳内リソースを消費させる人間は、単なる三流。
断定口調とは、相手の時間を1秒たりとも奪わない「極上のホスピタリティ」だ。
相手に「どういう意味だろう?」と推測させる隙を与えず、自分の意思を一直線に届ける。
己の内にブレない価値観という太い柱を打ち立て、断定という重い武器を軽々と振り回すことができる。
偉そう?言い切らないでお茶を濁すべき?
それどころか、決めきれる人間は、次元が上。
あなたが生きている世界は、常に「自分の脳内で知的に整理し、断定できる人間」が回しているのだ。
