人と話すことが苦手…という方は結構いるのではないでしょうか?
私も実際に人と話すのが嫌いな方です。
話すことはいいことだと思っている人には理解が出来ないとは思います。
でも、「めんどくさい、人と話したくない」「人と話すのが嫌い」という人は結構いるみたいで、とある調査では、過半数を超えているそうです。
なので、ご安心ください。
「会話が嫌い…アリかナシか」という調査
【アリ…50.5%】
■人と接する事や、人間関係そのものが面倒になってきてる。
■ひとりで静かに過ごしたい
■会話が成立しない相手とのやり取りは疲れる。
■お喋りが苦手。何で喋らないんだ、と言われてもねぇ…。
■気心の知れた人以外はストレスそのもの! 疲れるだけ。
そう思っている方へ、届けば幸いです。
「話すのが嫌い」「人と話せない」という人は多い
「人と話すことが嫌い」「人と楽しく雑談できない」という人は意外と多いです。
最近では、若い人のほうが多いかもしれません。
私も、人と話すことが嫌いですし、話すことでストレス発散とよく言いますが、実際は、気心がよほどしれてない限り、話す方がストレスが溜まります。
これらは、その人が特別嫌いだから、というわけではなく、気質などももちろん関係してきます。
ここでは話すことが嫌いという人の特徴や、理由を考えてみました。
そんなあなたは大人の場面緘黙(選択性緘黙)かも
場面緘黙(選択性緘黙)とは、学校や会社など特定の状況下で話すことができないという疾患です。
大人になってから、ここ場面緘黙症状に気づく人は少なくありません。
子ども時代に発症することがほとんどですが、ただ、性格の問題として見過ごされてしまい、大人になってから困難に直面するケースも少なくないと言われています。
ただ、全ての場所で話せないというわけではなく、家庭など、心が許せた場合の他の場所や場面では問題なく話すことができます。
言語的な症状ではなく、話せないのと同時に身体が固まってしまう、思うように動かせないという「緘動」の症状が伴うこともあります。
あとは拒絶反応や、大丈夫だったけれど特定の人と話すことができなくなる、ストレスでひどく不安になる、ということもあります。
緘黙症状の本質は話しているのを人に見られる恐怖。相手に威圧されたり拒絶されたり、批判される恐怖があります。
対人コミュニケーションの不安だと考えられており、アメリカ精神医学会の診断基準『DSM-5』(精神疾患の診断・統計マニュアル 第5版)では「不安症」のカテゴリーに含まれています。
大人の場面緘黙については現在研究の途上にあり、どのくらいの成人が場面緘黙で困難を抱えているか具体的には明らかになっていません。
- 不安になりやすい気質
- 言語・身体・運動能力などの機能的な問題
- その場や、相手との多くのマイナスの体験、ショック体験による心の傷や認知のゆがみなど
快適領域(コンフォートゾーン)が狭い
いわゆる「人と話したい」という人は、何か共通の目的がある場合や、居心地いいからつながっている状態が多いです。
これはなぜかというと、人間は「コンフォートゾーン(快適領域)」というものを求めるようにできています。
快適領域は本能ですが、人間は無意識に自分の居心地のいい場所を常に探していて、人間はその場所を見つけたら自然に居座ろうとします。
例えば、自分と馬が合う人たちのいる集団の中でなにかしようとするのは、まさにコンフォートゾーンです。
一人ぼっちにならなくて済むばかりか、価値観が同じなので一緒にいて心地よく、必然的に時間が無駄になろうと、囲まれるとそこが安住となります。
本能ではあるのですが、「人と話すのが嫌い」という人は、無意識にそういう人たちの影響を受けたくない!という自己防衛本能が働いています。
いわゆるコンフォートゾーン(快適領域)が狭く、自分の範囲内かものすごく近い家族などの存在の間のみが快適だと認識しています。
結果的に話すのが嫌い、群れない選択をしています。
人と話すのが嫌いな人の解決策は?
人と話すのが嫌い…。
なぜだか、世の中は、たったこれだけでその人を悪人のようにいう傾向があります。
それって本当でしょうか…?
よく話せる人が素晴らしい人、話すことが嫌いだから、それは良くないだとか…。そんなことはありえないですよね。
多くの書籍では、人間関係を上手くやるための方法などを語っていますが、人には、得意、不得意があります。
なので、実は自分の気質を変えようとしたり、型にはめる必要はないんです。
そういった人はそういった人で、とてつもなく良いものを持っています。
表に出ないだけで、素晴らしいものを秘めていることも多いんです。
解決策はどのようなものがあるのか見ていきたいと思います。
快適領域で孤独に陥らず孤高に生きる
少し前までは、会社で属し長いものに巻かれ嫌な人に耐えて話すことが嫌いでも過ごすことが必要だったかもしれません。
ただ、コロナ渦からの鎖国状態、働き方の多様化で、基本的に一日誰とも話していない、話さなくても過ごせるという生活も当たり前になっていますよね。
もしも人と話すことが嫌いという方で、コンフォートゾーンが狭いなら、今はそんな生き方でも問題なくなっています。
そして、孤独とは一人ぼっちに生きるということ。というマイナスなイメージがありますが、孤高は、一人ぼっちにならずとも自分らしさを維持することで他人に流されない生き方ができます。
群れるのが本能的に嫌な人が、目指すべきありのままの生き方と言えます。
家が一番、自分の領域が一番、など自分のコンフォートゾーンのみで孤高でいるという理想的な価値観を手にしませんか。
「話すこと」無理強いしないで
「場面緘黙症」についても、つい最近までは、理解されていませんでした。
学校でも社会でも関わり方というものを指導されることもなくひたすら性格やコミュニケーション能力に問題があると「努力不足」に認定されてきました。
この治療でも言われているのが、「まずは話せないことを責めず、話すことを無理強いしないこと」だと言われています。
また声を出せないことや話せないことに注目しがちですが、本人の状態や置かれている環境を把握すること、要するに、人というのは、百人いれば百通りカラーがあるということ。
すべての人を、雑談好きで、お話好きにしなければならないという思い込みなどを捨て、画一に染める必要がないと知ることです。
話すことが好きな人もいれば、それに苦痛を感じるけれど、内面世界が充実している人もいる。
大切なのは、一つの型にとらわれず、その人のカラーにあった生き方をすることです。
そういう人は他に世界を持っているので、本人の本来の能力を別の形でどう発揮していけるのか?っていうことを考えることが対処法ですよね。
たとえば、世の中に、職業は何万通りの職業があります。
なければ生み出せばいい。
たとえば自己表現の方法ですら、人と話す「トーク」だけではありません。
人はそのままでオリジナルの存在です。
創作では文章や、音楽や、その他作品作り、ものづくりでも表現ができます。
黙々となにか開発をすることで自己表現をすることも出来ますよね。
世の中はそういった人たちがいてくれて、素晴らしいものを孤高に生み出してくれるおかげで回っているのもまた真理です。
どうしても必要なときだけ、最低限で、あとは自分らしくでいいのではないでしょうか?
理解者に相談をする
場面緘黙かな?と思えることもあったり、条件が揃うと話すことが出来なかったり、ストレスや、一度なにか起きてしまうと話すのが怖くなる。
それでも、物事が上手く行かなくて悩みが深いなら、ただ、それを理解してくれる人に相談をすることがおすすめです。
それすらも面倒なら、チャット相談がおすすめです。
話さなくても良いですし、これからの未来や、生き方を相談して楽になることが大切です。
コミュニケーションを上手くやることに囚われ過ぎないで
今の世の中は、他人と接触して、上手くやろうとしがちです。
悪く言えば昔ながらの価値観で「そればかり求められがち」です。
それが「忖度」、顔色を読みすぎた子供が育ち、心の死を生みます。
若者が焦り、それが自暴自棄という緩慢な自殺を呼び、命を断つケースも増えています。
話すこと、人と関わろうとすること、これを良きとする世の中だからこそ、他人と関わることが出来ず「自分」を苦しめてしまいます。
何よりも、自分がまずは大切だということと、人の顔色を読み、話せない自分をその人のために変える必要がないということ。
私自身も話すことはとっても嫌いで、そう思われたくなくて強がってきたこともたくさんあります。
でも、本来の自分はそうではないので、好きなところ、好きな場所、得意なところで表現するようにしています。
嫌いなことに囚われすぎず、あなたにはあなただけのスキルや優しさが眠っていることを忘れないでください。
まとめ
人と話すことが嫌い、苦手…という方もいると思います。
従来人間は社会的な生き物ということもあり、「会話が嫌い」は問題だとされてきましたよね。
どこへ行っても、ある程度の人付き合いは生じるものですが、個で活躍できる世の中、リモートが可能な世の中になり、自分の快適領域で生きていくことは可能だと思います。
自分を変えなきゃいけないだとか、その考え方がまずしんどくなるので避けてみましょう。
持っているスキルが違うだけ、気質が違うだけで、そういう人でも、素晴らしい心や、才能を秘めていることも多いはずです。
ぜひ参考にしてみてくださいね。