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人の「命は平等」じゃないこと…命と価値は平等じゃない

世の中では以下のように言われることが多いです。

「人間の命は平等、すべての命は平等」

…でも本当にそうでしょうか?

人間の「命」は平等っていくらいっていても、価値が実際に平等に扱われないことって多いです。

そこで、命について平等なの?っていうことについてご紹介したいと思います。

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人の命の価値は本当に平等?

すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。人間は、理性と良心とを授けられており、互いに同胞の精神を持って行動しなければならない。

結論から言うと、国連がそう言ってますので形式上は「平等」だっていえます。

だけど、実際には、平等とは言えないでしょう。

この理由をご紹介したいと思います。

価値は他人が決めるものだから

実際に人の価値は他人が決めるものです。

千円札ぐらいの価値しかない人が、「自分は一万円札と同じ価値があるんだ!」と叫んでも、無意味極まりないことです。

価値とは人の主観で判断されるものです。

つまり、平等とされていても、人には主観が入り込むので、「人の命の価値は永遠に平等にならない」っていえます。

平等だということにしておきたいだけ

ぼくは、人間もほかの生物も、生命の存在ということについてはまったく平等だ、と言いたいだけなのである。
運命共同体としての生き物、その一員に過ぎない人間、という解釈を持っているからである。(『ガラスの地球を救え』より)

手塚治虫氏によると、洞窟の中に閉じこめられてしまったふたりの人間とたくさんの動物たちがいたとして…極限状況の中で、ほかの生き物を殺してでも生き延びようとするのは人間だけ。

他の動物たちはみんなが生き残るために協力しはじめます。

実は、すべての命は平等だということを知っているのは、人間以外のすべての動物たちだけ。

人間は、そういった動物を「下等な生物」だと見下す生き物だから、平等が成り立たないわけです。

万物の霊長だと自称している人間ではなく、動物たちしか命を平等に扱えないってことが分かります。

逸失利益が異なること

交通事故が起きたとします。

損害保険会社は、賠償金の算定をすることになりますが、慰謝料や葬儀費用などは、「死亡した人間が、将来働く可能性はない」場合、逸失利益をゼロにすることがほとんど。

ここで遺族が、「命(いのち)の価値は平等であり、逸失利益は全て同基準で算定されるべきだ」と訴えたとしても、過去からずっと、死亡事故をめぐる損害賠償に関しては「働くことが難しかった」場合には逸失利益はゼロとされてきています。

逸失利益とは「債務不履行、不法行為がなければ得られたはずの利益」で、社会で活躍できるかどうかによって算出されます。

もちろん、こちらの逸失利益の算定額は膨大なものになることもあります。

たとえば、「将来が嘱望されていた優秀な若者」や、「社会で華々しい活躍をして高収入があった人」が絡む場合です。

反対に、「長期間失業していた者」や「パート非正規雇用者」、「専業主婦」の逸失利益の算定額は少ないです。

「これは差別であり、命の価値の平等に反する」という主張が注目をあびていますが、不平等といえば不平等だし、公平といえば公平です。

ですから、未だこの約束事が改善されたことはありません。

動物の命は人の命よりも安い…

私は、獣医師の元カレもいるんですが、彼はいつも、「動物の命は安いんだよ」って言ってました。

彼はいつもクタクタで…いつも仕事に追われ、ひたすら動物の命を救っても、報われないと話していた。

獣医として働いているけれど、待遇が辛いって言っている人は多いと聞きました。

それはなぜなら、人の命は平等って言うけれど、やはり人間ではなく動物を相手にしているから、というのが大きいといえるでしょう。

実際に、動物が“モノ”のように扱われてしまっている状況は否めません。

もちろん、命を扱う責任重大な仕事であることに間違いはないのですが、人間の命を扱っている外科医たちと比べると、相応の待遇を求めにくい世界なのです。

セカイで命が平等じゃないとしたら

では世界中で命が平等じゃないとしたら、どうしたらいいんでしょうか?

そのセカイにはびこる差別というものをなくしたり、平等にできるんでしょうか?

そういう事を考えてみたので参考にしてみてください。

人の命は平等じゃないことを前提に生きること

命の価値は平等ではありません。

どれだけ表面的に平等を唱えても、人の主観的な「価値」に平等はありえません。

なぜなら、価値は満足度といったものを数値にしたもので、満足できないものには価格も付かないし価値も低いということになるから。

それに、人それぞれ、様々な人がいます。

他人の価値を決める人も、他人に価値を決められる人もそれぞれです。

命の価値は極端に言えば生命保険の価格にも、自分の命に値段をつけられているのは当たり前なんです。

そして、多くの人が好む、大切だと思う人と、そうでない人は価値も違います。

でも、反対に、それを前提で生きると、自分が人にとって価値のある人間になることができます。

要は誰かに必要とされる人になればいいんです。

普通に生きること

だからって「何かしなきゃ」って思う必要ないって私は思います。

なぜなら、あなたにとって一番価値の高い命はあなた自身の命です。

概ねこの順番はユビキタスな価値観で、つまり、地上の各人が「自分が最高!」と信じています。

だから、価値を他人に見いだされたからって、関係ないです。

自分の命はこの世でただ一つのかけがえのないもの。

他人が価値を判断したからって、人の命とそこから輝き出る「生きるよろこび」は無条件に尊いです。

価値や、金額を問題にする世界のことだけに、惑わされないで自分の生きる喜びを第一に生きましょう♡

平等の定義は永遠のテーマだから

まず「平等」の定義は、永遠の課題です。

誰でも自分にとって、自分の周りの人と比較して、名も知らない外国の死刑囚の命の価値は同じではありません。

別に悪い人や外国の人でなくても、見知らぬ他人が毎日どこかで交通事故に遭って亡くなっているという事実はそんなにショックではないと思います。

でも、学生時代の友人が病死したり、祖父の訃報となるとショックを受けるでしょう。

この世の中の価値基準はおしなべて主観的価値の集合体であり、平等は永遠のテーマなんです。

いくら平等を突き詰めたところで、助けようとしたところで、平等にはなりえないので、仕方がないんです。

平等にできないのはあなただけではありません。

世界全体のテーマなのだから…。

まとめ

命は平等?っていうのは永遠のテーマです。

所詮、平等ではないんです。

個々の人間は、生まれ、性別、年齢、能力、経験、社会的地位など多くの観点で平等ではありません。

そして、誰もが、一番価値の高い命はあなた自身の命。

だから、平等じゃないことを諦め、ユビキタス的な価値観で、誰しもを救う必要がないって思います。

普通に生きていいんです♡

是非参考にしてみてください。

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