
私は昔から、人を待つのが好きではありません。
誰かが来るまで待つ、誰かの準備が終わるまで待つ、誰かが決断するまで待つ⋯その状態が、辛いと悩んでいませんか?
ここでは、人を置き去りにして先へ進むことが気持ちいい理由をご紹介したいと思います。
人をなぜ待つのか。待つ人間の心理

世の中の多くの人間は、なぜか常に誰かを「待とう」とします。
そして、それがなぜか当たり前のように言われていますが、そこに違和感を抱えていませんか。
しかし、冷静に考えれば、他人の歩幅に自分の貴重な人生の時間を合わせることに何のメリットもありません。
それなのになぜ彼らは待つのか?
その心理の根底には、依存と甘えが明確に隠されています。
待つことを「優しさ」だと勘違いしている錯覚
世の中の人間は、歩みの遅い他者を待つ行為を「優しさ」や「思いやり」だと勘違いしています。
しかし、それは単なる偽善です。
相手の遅いペースに合わせてあげることは、相手の成長機会を奪い、一生自分の足で走れない依存体質へと突き落とす行為に他ならないから。
本当の優しさがあるとするならば、一切待たずに圧倒的な背中を見せつけ、食らいついてこさせることです。
待つことで得られるのは、「相手に合わせてあげる優しい自分」という自己満足と、お互いに足を引っ張り合って沈んでいく共倒れの未来なんです。
孤独への恐怖と「群れ」による自己防衛

人を待つ人間の最大の動機は「一人になることへの恐怖」です。
彼らは誰かと一緒にいないと自分の存在価値を保てず、自分一人の頭で決断して動く勇気が欠如しています。
人を待ち、群れることで「自分はおかしくない」、「同じペースだから安心だ」という錯覚に浸り、自己防衛をしているだけ。
他者の存在を、自分が安心できる精神安定剤として利用しているのが、待つ人間の正体です。
失敗を恐れる連帯感
彼らは、常に「誰かのせい」にできる逃げ道を探しています。
一人で突き進んで失敗すれば、すべての責任は自分が負うことになります。
だからこそ「みんなで一緒に決めた」、「あいつも遅かったから仕方ない」という言い訳を用意するために、わざわざ他人を待ち、連帯感という名のバリアを必死に張ります。
その自立心の欠如が、足を止める最大の要因です。
思考停止と他者ペースへの完全依存

自分でスケジュールを組み、自分の意志で道を切り拓くには膨大なエネルギーが必要です。
人を待つ人間は、この「自分で考える」という作業を完全に放棄しているんですね。
他人のペースに身を委ねていれば、自分は何も考えずに引っ張ってもらえる⋯その怠慢が、彼らをその場に立ち止まらせているのです。
ちょっとした行動に見えますが、これは自らの人生の主導権を、他人のペースに完全に明け渡している状態なんです。
なぜ人を置いていくことが、これほどの悦びになるのか

私は昔から人を待たないし、すぐに帰るし、一人で行動します。
他人と足踏みを揃えることなど絶対にしませんね(笑)
着いてこれない奴は平気で置いていくし、説明もしません。
それだけではなく、人を待たずに、さっさと自分の道を切り拓き、結果的に他人を置き去りにしていくそのプロセスそのものに、私はとてつもない快感を覚えます。
では、なぜ人を置いていくことがこれほどの悦びになるのか。
その理由をご紹介しましょう。
競争が始まる前に「圧倒的な距離」を作り、出し抜く悦び
一番の快感は、世間が「よーいどん」でスタートラインに並ぼうとモタモタしている間に、自分だけがすでにゴール手前まで到達しているという圧倒的な優越感です。
競争というのは、横一列で正々堂々と競い合うものではありません。
相手が靴紐を結んでいる間に、遥か彼方まで距離をあけ、「独走状態」を作ることこそが最強の勝ち筋であり、出し抜くことの真髄です♥
思い返してみても、人を待たずに先へ進むことで、私は常に他者を出し抜き、競争の土俵にすら上げさせないポジションを確立しています。
この先行逃げ切りこそが、ものすごい快感を生み出すのです。
他人のノイズ世界を切り裂いて完全排除できるから

誰かと足並みを揃えるということは、自分のスピードを「遅い人間」に合わせて強制的にブレーキを踏むという最悪の行為。
私は自分のポテンシャルや行動力に自信があるので、1ミリもスピードを落としたくありません。
さらに、人を置き去りにして先に進むことで、他人の愚痴や迷い、無駄な相談、トラブルといった「ノイズ」が完全に排除されます。
誰の顔色も伺わず、自分の直感と決断でトップスピードを出し続ける、この無重力のような自由と疾走感は、ノイズ世界を切り裂いていく感覚です。
決断と行動の責任を背負うことで生まれる「自己効力感」
他人を待たず、すべてを一人で決めて先へ進むということは、当然ながら結果を自分一人で背負う覚悟が必要です。
しかし、だからこそ面白いんです。
誰のせいにもできないシビアな環境で、自分だけで結果を出した時の「すべて私の実力でやってやった」という爆発的な自己効力感。
これって、待ち合わせをして、安心している人間には一生味わえない極上の体験です。
人を待たずして、自分の人生のハンドルを自分で握り、アクセルを踏み、到達する感覚⋯これこそが、私が生きるための最大のエネルギー源ですね。
後方から向けられる、奴らの「羨望と畏怖の眼差し」

私が、何よりたまらないのが、自分が遥か先へ進んだ後、置き去りにされた連中が背中越しに向けてくる視線です。
「あの人どこいっちゃったんだ?」と右往左往している目、たまらなく愛おしいですね。
最初は「なんで待ってくれないの?」「冷たいよね」と不満を漏らしていた人間たち。
だけど、私が遠く、手の届かない高みへと到達した瞬間に、不満を「圧倒的な羨望と畏怖」へと変換させます。
誰も追いつけない場所から、下界で群れながらモタモタと足踏みしている人間たちを見下ろす瞬間。
あとから彼らが凄さに気づいても、私と話す術、関わる手段は、もうありません。
既に、遥か彼方にいるのだから。
これこそが、同調圧力を蹴散らし、道を爆走し、置き去りにした者だけが味わえる最高のエンターテインメント。
人を置いていくことの真骨頂です。
まとめ

何をするにしても人を待つ人間は、結局、孤独を恐れ、責任から逃げ、他人に依存しているだけの思考停止した存在です。
私は、他人を完全に置き去りにして、一人で進むこと、そこに最高の快感を感じます♥
これこそが、人生をエキサイティングに、そして勝ち抜くための生存戦略に他なりません。
才能を凡人のペースに合わせて殺すのは大罪です。
あなたも、待つことを止め、その足枷を外し、彼方まで、全員を置き去りにしませんか?

