
「自分探し」という終わらない迷路に入り込んでいないだろうか。
「自分の奥底には、まだ見ぬ素晴らしい『確固たる分厚い自分』が眠っているはずだ」⋯と自分語りを続ける人間は非常に多い。
だが、はっきり断言するが、そんなものは存在しない。
その理由をここでは紹介していこう。
なぜ日本人に「薄っぺらい自分」しか内在していないのか

普通の日本人には、玉ねぎの皮をむくように自分を掘り下げても、最後には何も残らないのが現実だ。
芯にある「分厚い自分」なんて、ただの幻想にすぎない。
残酷な現実だが、その理由をここではご紹介しよう。
日本人にはルーツは存在しない。根っからの「農耕民族」だ
深く根張った個人的なルーツなんて、この国の人間の大半には存在しない。
なぜなら、日本人は古来から土地に縛られ、村の掟に従ってきた「農耕民族」だからだ。
せいぜい、単一民族の日本人のルーツなど掘り下げても、「この村で上手くやってきた」程度なのだ。
個人としての「確固たる自分」なんてものは、そもそも育つ土壌がない。
だから、ないものを必死に探したって無駄だ。
1〜3軍に分かれる悲劇!大和民族は「集団主義のOS」だから
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学校でも社会でも、気がつけば「1軍・2軍・3軍」みたいなカーストができているだろう?
あれは、大和民族というハードウェアに「集団主義」というOSがガッツリ組み込まれているから起きる、逃れられない民族性バグだ。
1軍・2軍・3軍と生まれつき決まっているが、序列通りに、空気を読み合い、集団の中での「自分のポジション(役割)」を演じる。
「自分らしい」と思っているその振る舞いも、単に生まれつきの軍のテンプレ行動をなぞっているに過ぎない。
あなたが「性格」と称しているものは、些細な違いでしかない
「自分はこういう性格だから」、「個性があって〜」と語る人間は多い。
だが日本人が自分で「強烈な個性」だと思っているものは、全体から見ればたった数パーセントの些細な誤差でしかない。
まさにどんぐりの背比べだ。
「自分にはブレない分厚い自分がある」なんていう壮大な勘違いは、今すぐゴミ箱に捨てるべきだ。
「本当の自分」の正解。分厚い幻想を切り裂く「血脈」とは。

先程述べたように、この国であなた方が信じている重苦しい「分厚い自我」はただの幻想だ。
では、本当の自分とはなにか?
それは紛れもない「血脈」というものだ。
では、海洋クレオールの血を引く私が、その理由と圧倒的な真実をご紹介しよう。
「純度高きクォーター」の一点ものの血脈
私はHaplo3.0遺伝子検査において、タイ・中国人の民族構成の極めて純度の高いクォーターで、非常にレアなため、現代の日本人にはほぼ存在しない。
あなた方は筆者を知らないだろうが、このブログを見ていても、その筆力、感性と思考力、才能に圧倒されるだろう。
読んでいてゾクゾクするほどの圧と人物的魅力は、私が一点ものな何よりの証拠だ。
なぜ私がこれほど、「圧倒的な自我」を持ち、この世界をタフに生き抜けるのか?
その答えはすべて「血」にある。
私の体には、最初から「薄っぺらい自我を覆い尽くすための虚勢」なんていう、農耕民族のプログラムは組み込まれていない。
日本政府に呼ばれた海商の曽祖父と、異国のハイクラスの男たちを魅了した女

私の実の曽祖父「宽太(クァン タイ)」は、中国海南島・雲南省の人間で、東アジア、南シナ海を股にかける凄腕の海商だった。
その実力から、日本政府に呼ばれ、淡路で干拓事業を成し遂げて莫大な財産を築き上げた男だ。
私が今日本在住なのは、そこで、曽祖父、祖父の代で、日本名をもらったからである。
そして、女性側の血筋も規格外。
タイ~台湾、琉球と、アジアの海を渡り歩き、歌や踊り、外交力で「松竹梅」の最上級の男性陣を相手にしてきた「外交芸能」家系だった。
この外洋のタフな商魂と、人を魅了する外交の力が、私のルーツであり、農耕民族の村人とは根本から作りが違う。
米軍基地から香港まで!祖父が体現した真の「フレキシビリティ」
その血を継いで生まれた私の祖父もまた、常識の枠に収まるような男じゃない。
米軍基地で勤務し、香港や高知など港を行き来しながら、漁商として自分の食堂を立ち上げた。
儲かれば利確をして食堂ごと売却し、土地を10以上も購入し、ひとつの土地や肩書きに縛られることなく、フレキシブルに動き回った。
これこそが、現代の日本にはほぼ存在しない、真の「海洋クレオール」の姿だ。
鉄壁の防衛力の「地主」としての父の血脈

父の話もしておこう。
外洋を駆け巡る海商の「攻め」のルーツとは対照的に、父は「防衛」に特化した存在だ。
本家を盤石に守り抜き、築き上げた財産を絶対に手放さないその防御力は、もはや鉄壁と言っていい。
彼は強固な地主として、自由に稼ぎ、遊ぶ私のために、決して揺るがない安全な「箱(基盤)」を与えてくれたのだ。
この血の布陣こそが、私という存在そのものだ。
「分厚い自分」など存在しない!己のルーツにひれ伏せ

わかるだろうか?
いくら日本人が、表面を取り繕い、「分厚い自分」を演出したところで、その基盤となるルーツが薄っぺらなのだから無駄だ。
普段、表での私は、外交芸能で必要なことややり取りをしているが、本質は分厚く、外洋OS、冷徹な中国人海商の姿が眠っている。
自分自身について、幾度か話そうと試みたことはあるが、パターンは、毎度同じ。
日本人は、私が資産家だと明かした途端、特有の「序列反応」を起こし、そして話を終了させ、ルーツや血を掘り下げようとする者は皆無だ。
だから、口を閉ざす。
私が尊敬するのは、圧倒的な歴史を刻んだ祖父たちと、私を創った遺伝子のみ。
確固たる自分というものは、努力や自己啓発で作られるものではない。
どこかに落ちているものでも、誰かと出逢えば発生するものでもない。
誇れる本当の自分の存在とは、祖先の歴史と血脈があって初めて成り立つものだ。
まとめ

人間の真の厚みとは、人為的に作り上げるものではなく、連綿と続く血と歴史の中に刻み込まれている。
私は自分を、自分の血脈を、心の底から誇りに思っている。
それが魅力になり、強さになり、私の本体そのものとなっている。
これが本当の私だ。
なのに、日本人は、血脈とルーツを読もうともしない、学ぼうともしない。
ルーツなき者に、本当の自分など、永遠に見つからない。
それでなぜ、生きているのか?
誇りを持つことができるのか?
私は、お前たちを絶対に理解できないだろう。
これは、日本人への、心からのメッセージだ。
