子供の頃から親や学校の先生に「努力しろ!」とか「もっとがんばれ!」と言われてきたり…
はたまた、社会人になってからも「努力しろ!」と上司や先輩に言われたりしていませんか?
どんな人でも努力をしているから、努力は必要!だとかね…。
偉そうに努力という言葉を口にする人も世の中には多いと思いますが、他者に対して努力を促す人はなぜそのようなことにこだわるのでしょうか。
ポジティブワードで知られている努力という言葉ですが、これをなぜ促してくるのでしょうか?
その理由や対処法をご紹介したいと思います。
努力しろ!って努力を促す人は多い
日本社会では、未だに「努力」という言葉自体がポジティブワードだと捉えられています。
「もっと努力しろ!」という発言が正論っぽく響きます。
実際に言われたことがある人もいるでしょう。
私も、よく「私は天才だ」って旨の発言をするんですが…SNSで、「努力なんて特にした覚えはない」という旨の発言をしたら、色んな人にけちょんけちょんに言われましたね(笑)
もし周囲に「もっと努力しろ!」とか言ってくる人がいたら、相手に対する見方を変えてみてもらっていいと思います。
では、努力しろ!なんて言葉は、必要ないし、そういう言葉をかけてくる人が間違っている理由についてご紹介します。
「結果」を出していれば過程はどうでもいい
なぜか、「過程」や、「努力した功績」を見て、涙する人って居ます。
だけど、私は、思うんです。
結果が出れば努力していなくてもいいんです。
「過程」がどうであれ「結果」がついてこなければ意味がないからです。
どれだけ売るための努力をしたとしても結果として全く成績が伸びなかったら、それって意味ありますか。
大半の人は「結果」さえ出していれば、その時点で、勝手に努力をした人だと思いこむし、その時点で、過程はどうでも良くなっています。
結果さえ出せれば人は何も言ってこなくなります。
目に見える結果を求めていきていきましょう♡
才能があれば別に努力はいらない
本当に自分がやりたいことやっていて、かつ才能があれば、自然と結果が出てきます。
めちゃくちゃ素晴らしい結果が出ている、他の人よりも、優れている…それって、努力の量が圧倒的だったわけではなくって、才能の差の話です。
そして、当の本人が苦労しているのかというと、恐らくそんなことはないはず。
本人からすると、才能を生かして、好きにやっているってだけで、ちっとも努力しているとは思っていません。
誰しもが努力をしている、という言葉を放つ人は、自分に才能がないからこそ、勝手に「誰よりもできちゃう感覚」がわからないんですよね。
努力は万能じゃない
何度か、ぶつかった事がある人は、努力が万能じゃないことを知っています。
一人ひとりに、才能の壁ってものがあって、限界があることを知ってるはずです。
だから、逆に、本気になったことがない人ほど、なにかにチャレンジしたことがない人ほど、努力で何でもできるし、努力でなんとかなると思っているのです。
こういう人は、いわば努力の本当のところをしらないのです。
でも、その人の中では、努力の可能性は無限大!と思ってるから、周りに対して、とことん要求するのです。
努力という単語に思考がとらわれている状態
努力をしろ!って押し付ける人にとって、まさに「努力」というワードが切り離せないポジティブワード。
なにか夢を叶えてくれるための魔法だと思いこんでいるんです。
でも、事実ベースだと、それって「根性論でゴリ押し」していることに過ぎません。
努力という単語に思考がとらわれている状態です。
「努力」という単語に思考がとらわれていると、人の生まれ持った遺伝子からの特技(才能)論、方法論や方向性まで頭が働かなくなります。
量でゴリ押しするのが、もっとも単純です。
そして、相手に指示するのも簡単ですが、「努力」というワードだけで人をなんとかできると思っているのは思考停止の状態です。
他人に対して努力を促す人、努力を美化する人への対処法
私も他人に、もっとこのように努力をしろ、っていうふうに言われたことがありますね(笑)
努力をしなければ、上に上がることなんて、できないはず…のようなことを言われて、「こいつバカだな」、と思ったのですが、こういった人への対処法をご紹介したいと思います。
「努力を強化してないと生きていけない」人を見極める
他者に対して努力を促す人はきちんと見極めると、面倒なことが起こりません。
親や学校の先生、上司など…他人に努力を促してくる人、こういう人たちは、適当に生きることが許されないような窮屈な状況に身をおいてきた人たちなのです。
適当に生きることが許されない日本社会は、「努力しなきゃ」っていう気持ちを強化してしまいます。
だけど、大した努力をしてなくても成功してる人は実際に存在します。
持っている才能によっては大した努力をしなくても適当に生きることができる人もいるわけです。
こういった典型的な「努力を強化してないと生きていけない」人、っていうのは周囲にたくさんいますので、人を見極めるうえで役に立つので、よく観察しておくと良いでしょう。
同調圧力に屈しないこと
私たちが人並みに生きていくうえで、努力をしてきた人はもちろんいるでしょう。
そもそも、日本人というのは昔から根性論が大好きというか、必要以上に努力を美化してとらえる傾向が強いのです。
私たちは子供の頃から常に努力を強いられてきています。
- 何かが終われば、次の目標をたてて突き進む努力
- テストで良い点数を取るための努力
- 部活では、負けない努力、大会に出場して優勝するための努力
- 受験では、志望校に合格するための努力
- 就職活動では、大企業から内定をもらうための努力
- 社会人になったら、良い評判を得るための努力
良くも悪くも私たちは、教育を通じてこういった価値観を植え付けられているので、「努力」しないとって植え付けられています。
本音を言えないのは、日本の教育による、同調行動による集団圧力もあるでしょう。
でも、実際に人には得意、不得意があって当然で、努力ではどうにもならないところもあります。
そして、無駄な努力も存在しています。
それを学校教育では教えません。
要するに、誰もが自分の得意な分野で戦えばいいと思うのです。
努力が大事、って思い込まされていませんか。
一度立ち止まり、刷り込まれた価値観や同調ではなく、自分の頭で考えて行動することです。
努力は少しでも、アイデアや、工夫次第で十分勝てる
たしかに、現在の能力で、到底太刀打ち出来ないときに、何かを成し遂げるためにはちょっとした努力も必要です。
だけど、そこに必要なのって、努力だけではないと私は思うのです。
「努力」は少しだったとしても、「アイデア」、「工夫」が優れていれば、結果が出せます。
また、「テクニック」、「方法論」…これを組み立て、それがうまくミラクルを起こせば、結果が出るはずです。
努力を最小限に、ミラクルを起こすこと…別に奇跡じゃなくても十分できるはずです。
人は平等じゃないってこと
世の中のすべての物事って、人の「努力」があったから、進歩したのだと思いますか?
たしかに、努力をした人もいるかもしれないけれど、結局のところ適材適所的な「才能」が殆どを占めると思うのです。
- 三流はお金を払って学ぶ
- 二流はお金を払わずに学ぶ
- 一流はお金をもらって学ぶ
こういう言葉もありますが、結局、世の中は、平等ではありません。
はっきりいって、一流から三流に分かれています。
一流の人は、自分にお金を出してまで、弟子になりたいという人が存在するので、そのふれあいの中で学ぶことができます。
だから、三流の人からしたら、「楽をしている」ようにみえるし、努力をしてないようにみえるでしょう。
そして、必要なのは、努力で勝てない分野で誰かに追いつこうとするのではなく、一流になれる分野を探すことなんですよね。
他人の努力量は目に見えない…他人が関係してくることがおかしい
他人が他人の人生に口を出したとしても、なにも変わりません。
基本的に、家族だろうが友達だろうが他人を変えることはできないってこと。
そして、他人の努力量は目に見えません。
自分の目に努力してないように映ったとしても、それは間違いかもしれないです。
仮に、変化させようとしても、無理なものは無理です。
自分にも見えないけれど、他人にもみえないのが「努力量」です。
人と比較せず自分自身のことに集中しましょう。
まとめ
「もっと努力しろ!」といった発言が辛い…って思っていませんか?
私も、私を何も知らない人に、そういうことを言われたことがあります。
だけど、「努力で、できることは限られてる」ってのが現実です。
どんなに勉強しても、アイツに勝てない。
どんなに練習しても、練習サボってるアイツに勝てない。
…こんな思いをしたことはありませんか?
努力には限界があるので、そんなことも知らない人の言葉は、聞かなくていいんです。
努力は最小限でいいんです。
やりたいことをやって、自分の才能が発揮できる分野で、楽しく開花させてください♡