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「ジャッジしない」人の本当の理由。ジャッジする生き方がおすすめ
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スピリチュアル系の分野、自己啓発の分野では、度々「ジャッジしない」という言葉が使われます。

なにか相談をして「ジャッジしない」って言われたことはありますか?

私が最初にこの言葉を耳にしたのは、ちょっとそういう系の相談を昔にしたときです。

その後多くの人が、ジャッジはしないです、って言っているのに気づくようになりました。

人との関りにおいての「ジャッジしない」の意味は、どういう意味なんでしょうか?

その理由や、どうしていくべきなの?っていうことについてここではご紹介します。

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ジャッジしないという人の本当の理由

「ジャッジしない」という言い方は、特に、スピリチュアルの分野で使われるようです。

ジャッジしないということは、人を中立的に見ること、観察すること、客観的に見ること、俯瞰視点で見ることになります。

他人も自分も裁かない、批判しない、責めない、決めつけないという意味になるでしょうか。

こういう前置きが増えてきていることに、どういった意味があるのかを見ていきたいと思います。

ダメ出しを避ける意味

相談をしたはいいものの、自分の不足している部分にダメ出しをされた…って感じてしまうこともありますよね。

そして、落ち込んでいたりしていませんか?

その現象は、まさに物事や自分の在り方に「良い」「悪い」をつけてジャッジされてしまう事から起こります。

多くの人たちは、小さな頃から無意識にこの世界や社会のルールを教え込まれていて、全て評価されてきています。

ジャッジメントの例
  • 「良い」
  • 「悪い」

しかし、本来物事に「良い」「悪い」という概念は内在していません。

「良い」「悪い」 の基準は人それぞれであり、非常に不確かな概念なのです。

ジャッジをしない生き方は、その人が、人生で感じている苦しみを開放するやり方だとされています。

自分の評価・判断に自信がない

ジャッジをしない人というのは、自分の評価や、判定に自信がないという側面も併せ持っています。

たとえば、「ツインレイ」ってこんな人って定義があったとして…ツインレイ鑑定を受けたとします。

ですが、そこで「ジャッジはしません」と言われてしまったらどう思いますか?

たしかに、「ツインレイ」である事よりも、心の底から愛する事が大事かもしれない。

だけど、相談を受けている以上は、「求められる役割を果たす義務」があるし、本当のところを知りたいって気持ちになるでしょう。

ジャッジメントをしない生き方をしている人は、自分が発言することによって、相手が傷つくことを過度に恐れていたり、責任を持ちたくない方が多いです。

つまり、評価、判断、識別、裁定に自信がないからともいえます。

ジャッジをしないほうが楽だから

「ジャッジする」というのはどういう状態なのか、ということですが「●●は正しい、●●は間違っている」という感覚を持っているということです。

人はジャッジメントを超えた観点を持つことで真の幸せな生き方ができるといわれています。

人をジャッジしない人にとっては、「ジャッジしない」方が楽なので、あえてしないようにしているのです。

ジャッジしない生き方をするべきなの?

ちなみに、私は、めちゃくちゃジャッジする人間です。

いつも、自分の価値観を大事にしていて、「それは終わってる」ってシビアでサイコな判定をくだしますね(笑)

いわゆるジャッジをしない生き方とは、物事を判断しない生き方。

ラベルを貼ること無く、人それぞれの在り方をまるごと受け入れる状態です。

スピリチュアルな観点でも、魂の成長のベクトルはジャッジメントを超えた無条件の愛だとされています。

ジャッジしてしまう背景には原因となる思考があります。

それではジャッジメントをしない生き方をするべきなのでしょうか?

「正しくなければいけない」は止める

正しさのジャッジメントは意味がありません。

戦争が起きるのも、そもそもは裁きの心が原因です。

どちら側も相手をジャッジしているから争うのです。

私は、好き、嫌いの判定はしますが、「正しくなければいけない」というのはよくないジャッジだなと思うのです。

これは、いわゆる真面目な人が持つ思考ですね。

なぜかというと、世界に絶対的な正しさというものは存在しないからです。

時には、ルールやマナーを尊重することは大切です。

しかし、すべての人にとって等しく正しい事であるのかは別です。

正しさとは、人それぞれであることを理解し、自分なりの意見を出してみましょう。

個性を認める

ジャッジメントを下す前に、なるべく個性を認めることが大切ですよね。

私達は生まれてくる前に環境、容姿、特徴を決めて生まれてきたと言われています。

長所や短所も、別の視点から見たら、変わるものです。

それぞれ、自分に設定されている個性です。

ありのままの自分で生きている人は、個性を生かして生きているということで、それを認めていくべきなのです。

求められているのならジャッジする

相手が、善悪の判定をあなたに求めているのだから、その際は、ジャッジメントをしてあげましょう♡

その判定がその人を救うこともあります。

「いつでもどこでも評価しない」なんていうのは実は相手にとってもよくありません。

『ジャッジせず、ただ感じて受け入れる』ということと、目の前の人が求めていることに意識を向けることはまた別なのです。

まとめ

ジャッジメントする必要はない…そのほうが楽である…ってよく言われているけれど、本当にそうでしょうか。

それよりも、ありのままの個性を認めること、責めたり批判しないと意識することが必要だと思われます。

たしかに、事象にマイナス感情を注がないことで救われることも有ります。

ただし、ときに求められたときには、仕事のプロセスや成果については評価、対話は大切だと私は思います♡

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