
相手に「俺の気持ちがわからない?」と責められたとき、多くの人は罪悪感を覚えるが、その必要は一切ない。
そもそも他人の気持ちなど完全には理解できないし、知る必要すらないからだ。
今回は、なぜ、人の気持ちを理解する必要がないのか?という点にスポットライトを当てて解説していく。
「あなたは気持ちがわからない?」私が人の気持ちなど考えない理由

「俺の気持ちがわからない?」「あなたは、人の気持ちが分からない?」この言葉を聞くことは多いはず。
だけど、この言葉は、感情による支配を試みるナンセンスな境界線侵害だ。
共感や同調を強制される筋合いなんて、どこにも存在しない。
なのに、人は簡単にこの言葉を口にしてくる。
あなたもそこに辟易としていないだろうか。
そこで、私が他人の感情を考慮に入れない理由を提示するので、しかとご覧あれ♥
外交芸能OSの起動:相手と楽しい舞台を作り上げているだけに過ぎないから
私の父側の祖父の母系は、この琉球や台湾、マレーといった、外洋の海域で代々「外交芸能」をやってきた血筋だ。
外交芸能とは、外洋の海域や交易点において、外見に華があり、歌や会話に特化した者たちが、宴を催し、異文化の男たち同士の緊張を和らげ、「その場を最高に盛り上げる」、「異文化外交」に特化した外洋の港に欠かせないプロフェッショナルだ。
舞台を作り上げる――これが「外交芸能OS」のベースとして、曾祖母から、現代の私にも引き継がれており、ここには、異なる文化、背景を持つ他者と、「内面を一つにする(共感する)」必要性がないのだ。
なので、目の前の人間関係やコミュニケーションは、私からすると、「期間限定の舞台」に過ぎない。
そもそも、舞台の人間は、楽屋裏の機嫌など気にする回路がゼロなのだ。
人に関心がないから

たとえば、私の場合は、そもそも他人の内面や感情のゆらぎに対して、根源的な興味が存在しない。
関心がないものに対して、無理に配慮を取り繕うことは、自分にも相手にも誠実じゃない。
自分に嘘をついてまで、他人の機嫌や思考の波にエネルギーを割くくらいなら、どうでもいいものをどうでもいい、と切り捨てることは、誠意なのだ。
相手と自分は、遺伝子レベルで異なる別個の生物である
どれだけ親しい間柄でも、自分と相手は、遺伝子レベルで異なる別個の生物である。
思考回路、感情の発生プロセスが根本的に違う以上、「相手の気持ちを理解する」ことなど不可能だし、固執することは非合理的。
むしろ、遺伝子が違うのに、気持ちを分かって、と強要する様が異様なのだ。
違って当たり前、そもそも分かろうとしない、踏み込まないほうが善という前提にあるべきだ。
人の気持ちなど分からなくても、理解と対処ができる理由

実は、人の気持ちなど完全にわからなくても、人間がどういう構造をしているのかは十分に見ることができる。
気持ちは、何も知らなくていい。
人間は、行動と構造を見れば理解できる、その理由を説明していく。
パターン分析と観察で行動予測をする
相手の感情を「感じ取る」必要など一切なく、人間は、ルーツ(血筋)、生物学的タイプを「分析」すれば、相手が次にどう動くかは数学のように予見できる。
自分の中で、モデルを構築しておけば、相手の気持ちになど一切寄り添わず、楽しい関係だけ作れるのだ。
感情は意図的にシャットアウトしたほうが都合がいい

最初から気持ちなどといった感情をシャットアウトしていることで、相手の構造のみをクリアに抽出できるのだ。
そもそも、感情に飲み込まれると、相手を見誤り、本質を見失い、迷走する。
最初から構造で見ていれば、相手が感情の渦でドロドロになろうが、不機嫌だろうが、こちらは冷徹に感情を動かさないっていう、シャッターを一枚挟んだ状態になれる。
目的と行動パターンから「利害関係」を分析する
恋愛だろうが、友人だろうが、人と人との関係は基本的に「利害関係」でできている。
なので、相手が求める「目的」、「期待するメリット」、「背後にあるインセンティブ」を観察することで、内面に踏み込まなくても「自分の何に惹かれているのか」という点で相手の本質的な理解が可能なのだ。
相手が自分と付き合う目的を掘ると、相手の本体そのものが出てくるから。
行動の繰り返しを見る
一度だけなら偶然かもしれない。
しかし、人間は、似た状況になると同じ処理を繰り返す。
なにか言ったときの反応、喜んだときの出力の仕方、怒鳴る、嘘をつく。
同じ反応は、「たまたま」ではなく、その人の処理パターンである。
ここまで見えてくれば、「この人はいま何を感じているのだろう」と悩まなくてもいい。
次に何が起きるかはある程度読める。
その人がどんな条件で、どんな処理をする個体なのか、それは人間性そのものだから。
「お互いに分かり合えるはずがない」という冷酷な事実は突きつけること。

「お互いに分かり合えるはずがない」という冷酷な事実は、あらかじめシステム化しておくべきで、そうすれば、相手に対して過度な共感を期待せずに済む。
すると、こちらも理解されない、理解を求めない、一種の契約的アプローチが完成する。
人間関係で本当に必要なのは、相手の感情を完全に理解することではない。
この人を信用するのか、任せるのか、距離を置くのか、切るのか。
必要なのは判断そのものだ。
まとめ

「人の気持ちがわからない」ということは、人間性の欠落ではなく、当たり前の事。
他人の内面に付き合う必要は、一切ない。
むしろ、誰しもが、最高の舞台を作る演者として、はたまた、論理的なプロデューサーとして振る舞えばいいのだ。
相手の気持ちなど、「知るか」と投げ捨てることで、たくさんの舞台を作れるはずだから♡
