
人はよくいう。
「あなた、前と言ってること変わってない?」「考え方なんか変わったね」と、低い解像度で人の変化具合をチェックするのだ。
あなたも、「変わったんじゃない?」って言われ、困惑したことはないだろうか?
この記事では、人はそう簡単に考え方が変わるのか?という点にスポットライトを当てて、見ていきたいと思う。
「考え方が変わった?」と見られる理由

人はよく「あの人、昔と考え方が変わったよね」と言う。
私の発信する文章をみている読者がいたとすれば、時折「この人の考え方は以前と変わってしまったのだろうか」という違和感や変化を察知することがあるかもしれない。
それだけではなく、同じ人の言葉に触れていると、かつての思想と現在の発信との間に歪みや乖離を感じ取るのは自然な現象だ。
しかし、人間の思考や本質的な精神といったものが、そう簡単に変貌を遂げるものなのだろうか。
ここでは、「考え方が変わった?」と見られる理由をご紹介していく。
刃のような鋭利な言葉のトーンと攻撃性の強さ
歴史が重なると、表現における装飾や曖昧なクッション言葉が削ぎ落とされる。
で、結果として言葉のニュアンスがきつく、鋭利に感じられる局面が増えることがある。
たとえば、私の場合は、ブログ初期においては、読者層全体の万人に受け入れられるような配慮や緩衝材として柔らかい表現を多用している。
だけど、今みたいに思考の練度が高まり、自身の主張、核が明確化してくると、最短距離で本質を突くダイレクトな言い回しへと変化する。
この変化をみると、一見すると性格が攻撃的になった、あるいは思想が尖鋭化したかのようにみえる。
表面的な関心事の変転

昨日まで好んで取り上げていたテーマから、今日には全く別のテーマへと関心が移っている様子を目撃すると、人は「好みが変わった」、「探求の方向性や思想の軸がブレた」と受け止めがちである。
特に日本人は、共有をして相手との差異を失くす文化性にあるため、これが移ろうと「変わった」と誤認しやすい。
「かつての言動」との対比から生じるギャップ
「以前のこの人であれば、このような場面では間違いなくこう言っていたはずだ」という概念は、基本的に記憶や固定観念だ。
特に日本人は、過去の発言や行動のログを無意識のうちにパターン化し、その人物の「標準思考モデル」として定義づける習性を持っている。
そのため、パターンから逸脱した言動が提示されると、まるで思想の根本が覆ったかのように見えてしまうのだ。
変わったように見えて変わっていない理由

前章で挙げたように、言葉のトーンの鋭利化、関心対象の推移、過去の発言とのギャップといった要素が重なると、「あの人の考え方は変わってしまった」と結論付けがちである。
しかし、断言しよう。
見え方がどれほど激しく移り変わろうとも、人間が保持する本質的な考え方や精神の根幹というものは、そう簡単に変わるものじゃない。
ここからは、人が変わったように見えても実は全く変わっていないと言える論理的な理由について、解き明かそう。
表層のバリエーションに過ぎない。「出力」の変化
人間が外部に向けて放出する言葉、文章、態度、選択といったあらゆる要素。
これは、すべて内部で生成された思考が表現された「出力」に過ぎない。
例えば、同じ人物が同じ信念で発言する場合も、過去の表現力で語る場合と、後の熟した表現力で語る場合とでは、受け取る印象は劇的に異なってくる。
なので、あなたが目撃している「変化」の正体は、人物の思想の変質ではなく、思考を外部へ変換する際の出力エンジンの調整、表現だけの変化なのである。
出力される製品の見た目が変わったからといって、工場内部の製造原理が変わるわけではないのだから。
不変の基盤。核心的価値観という「OS」の不変性

PCに例えるならば、アプリや画面のUI(ユーザーインターフェース)が新しく更新されようと、そのシステム全体の基本OS(オペレーティングシステム)は入れ替わらない。
まさにそれと同義で、人間の内面には、生まれながら、民族性の人物核といった遺伝子情報、そこに経験、本質的な美学によって形成された「揺るぎないOS」が鎮座している。
どのような情報を好み、何を不快と感じ、どういった論理で世界を解釈するのか⋯この基幹的プログラムは、人生において滅多なことでは書き換わらない。
したがって、観察される変化は、すべてOSの上で動作する表層的ツールの差し替えに過ぎない。
内部思考の高度な整理と洗練により雑味が削ぎ落とされる
思考の経験値を重ねると、人間は自らの内面にある概念、感情を整理・統合していく。
初期のうちは、曖昧な言葉で、本音や核となる思想を無意識に隠蔽してしまうことが多い。
だけど、脳内の整理が進むと、自身の主張や信念がクリアに整理され、表現しきれなかった本質的な考え方が、濁りのない状態で外部へと出力されるようになる。
これは「考え方が新しくなった」のではなく、「内に潜んでいた本来の考え方が正しく整理され、露出した」という現象。
むしろ内面の本質への収束が行われた結果なのである。
思考の純度を高めた結晶体(ワード)が完成される
思考の整理が進むと、発せられる言葉は、不純物を削ぎ落とした「結晶体」へと進化を遂げる。
その結果、完成するワードは、説明を削ぎ落とした強度を持ち、短く鋭いフレーズとなって外部へ出力される。
これは、その人の発言、言葉、文章、などに非常に顕著に現れ、特に私のようなブログだととてもわかり易い。
これは、時に強い印象を与えるため、相手はワードを脳内入力するときに劇的な変貌を遂げたかのような衝撃が加わることになる。
出力で変わったように見えても、本体は変わらず揺るぎないってこと。

その人の言葉を形作った原料は、昔から抱き続けてきた変わらない情熱や価値観そのものである。
思考を研ぎ澄まし、出力を遠慮しないことにより、完成度の高い言葉が生み出される。
しかし、根底にある思想のマグマは、最初から何一つ変わらない。
例えば、今あなたが変化を感じても、これは唯一の私の核そのものだ。
同じように、あなたが、誰かの発言に変化を覚えたとしても、それは出力が変わっただけ。
包み隠さない言葉であればあるほど、それはその人の本質そのものだ。
まとめ

人が「あの人の考え方は変わった」と感じる時、実際に起きているのは変容ではない。
発言のトーン、過去の言動との間にギャップが生じたとしても、その人物の「思考の核」や「本質」は揺るぎなく存在し続けている。
むしろ、それは、その人物が本来持っていた不変の核が、表出された瞬間なのだ。
