
昔は仲が良かった、長く付き合ってきた、学生時代から知っている、以前はよく遊んだ。そんな理由だけで、人間関係を何年も保存している人は少なくないだろう。
しかし、過去に価値があった関係と、今も付き合う意味がある関係は別物だ。
私は、誰かとの関係を「一度できたら保存しておくもの」だとは考えていない。
この記事では、「なぜ、人は付き合う意味がない人を保存するのか?」、「今の価値」で人を選ぶことが大切な理由を紹介していこう。
なぜ日本人は「付き合う意味がない人」を保存してしまうのか?

多くの人には、なぜか「続いているだけで価値がある」、「せっかく知り合えたのだから」という考え方がある。
これは創作ではなく、本当の話なのだが、私は、代々から海商の血筋で中国、タイ人のクォーターなのもあり、この考え方の回路自体がない。
中国人には「差序格局」といって、人間関係を過去の実績だけで保存するより、今どれだけ近いのか、今その関係が機能しているのかで濃度を更新する感覚が強い。
だから、いらないなと思ったらその場で平気でブロックするし、あ、終わりだなと思えば、勝手に終了させることも基本操作の一つだ(笑)
だけど、このロジックで物事を考えたほうが、読者もハッピーになれるのではないか?と思うからこの記事を執筆しているのだ。
なぜ日本人は、終わった恋や、縁をいつまでも手放せないのか?
まずは、付き合う意味がなくなっているのに関係を保存してしまう理由を紹介しよう。
「絆」や「情」を神聖視しすぎる文化
日本人は「関係が続くこと=素晴らしい」、「情を大切にする=美しい」という価値観を強く持っている。
そのため、何年も付き合った恋人や、昔からの友人との関係にヒビが入っても、「◯年来の恋人」、「昔からだから」という言葉で残そうとするのだ。
昔、一緒に笑ったこと。
困った時に助けてもらったこと。
楽しい時間を過ごしたこと。
こういう理由で「保温」しようとするのだ。
だが、しかし、関係はずっと同じ密度だとは限らない。
過去に良かった人は「過去に良かった人」。
価値をそのまま現在へ持ち込む必要性がないのだ。
「切るほどでもない」が保存理由になっているから

人間関係を残す理由を聞くと、「別に嫌いじゃないし」、「何かされたわけでもないから」という答えが出てくる。
だから連絡先を残し、誘われれば会い、近況報告をする。
こうして「今は連絡を取らない謎の関係」がどんどん、保存されていく。
だけど、人間関係は、不採用にするための重大な欠点を探す審査ではない。
現在、そこに面白さも安心もないなら、十分失格だ。
「もったいない精神」と復縁への過剰な期待
モノを大切にする日本の「もったいない精神」は、なんと人間関係にも容易く発動する。
「あんなに時間をかけて分かり合ったのに」「あんなに愛し合ったのに」という過去への投資(サンクコスト)を惜しみ、「いつかまた分かり合えるかも(復縁)」という幻想を抱く。
これは人間関係に投入した時間を回収しようとする発想である。
ただ今まで続いたという事実は、次も続ける理由にはならない。
過去に使った時間は、関係を続けても戻ってこないが、過去の数年を理由に、もう会いたくない人へ次の5年、10年を渡すほうが大きな損失になる。
関係の長さは勲章ではない。
役割を終えた関係は、終わったところまでで完成しているのである。
「関係を切ること=自分の過去の否定」という錯覚
長い付き合いの相手は、いわば「自分をよく知る証人」だと感じる日本人は多い。
そのため、その相手との関係を終わらせることを、「一緒に過ごした自分の青春や過去まで否定される」ように感じて恐怖を抱く。
今付き合う価値があるかどうかで決めるべき理由

人間関係を現在価値で見ると、冷たいように映る。
しかし、「今、この瞬間の自分にとって付き合う意味があるか?」で関係を選択すると、人生のステージは劇的に変化していく。
ここからは、「今付き合う意味があるか」で関係を選ぶべき理由を解説しよう。
付き合いの価値は「今、何が発生しているか」
会えば楽しい、知らないことを教えてくれる、話すと新しい発想が生まれる。
安心する、刺激される、また会いたくなる。
こうしたものはすべて、現在進行形で発生している価値である。
一方、「昔は仲が良かった」は記録である。
どれだけ美しい記録でも、現在の関係に何も発生していなければ、それは過去である。
今その人と接触することで何が生まれるのか。
価値なのか、記録なのか、この視点を持つだけで、重荷を減らし、突き進める。
つまり、荷重搭載を避け、最低装備でこれからの道へ進めるのだ。
関係を保存するだけでも、認知コストがかかるから

会っていなくても、付き合いや関係は完全なゼロコストではない。
返信する、近況を聞く、久しぶりだから会ったほうがいいかと考える、相手と心地良い会話を繰り広げる。
そんな感じで、小さな処理が発生し続ける。
一つなら何でもない。
しかし、付き合う価値がないと薄々分かっている関係で、背景に未処理案件が残るのは非合理的だ。
だから、関係保存ではなく、切り捨てが必要である。
必要なのは、名前が入ったメモ書きではなく、本当に接触したい人へ認知資源を使える状態である。
空いた場所に、今の自分に合う人が入ってくるから
古い関係を残し続けると、景色も更新されない。
新しいメンバーも、ステージも更新されない。
「付き合いはある」という状態だけが残ると、新しい人へ向かう必要性も感じにくくなる。
しかし、今はもう意味がない関係を手放せば、関係に空白ができる。
空白があるから、新しい人と接触した時に、その関係をステージにいれる余地が生まれる。
どちらもハッピーはありえない。関係は必ずどちらかに負担がかかる
人間関係で、二人がまったく同じ熱量、同じ頻度、同じ距離感を求め続けることはない。
どちらかが会いたい時、もう一方は休みたい。
どちらかが話したい時、もう一方は興味がない。
どちらかが関係を残したい時、もう一方はもう十分だと思っている。
つまり、関係を維持する限り、必ずどこかで片方が相手に合わせることになる。
二人とも常に100%ハッピーな関係など成立しない。
だから私は、「関係を続けること」そのものを善だとは見ていない。
別に相手を不幸にしたいわけではない。
むしろ、相手を思うからこそ、常に、どちらもハッピーな状態なのか?を考えているのだ。
むしろ一期一会でいいんじゃないか?

日本の関係観は“縁を守る”方向へ働き、中国の関係観は“現在の距離に更新する”方向へ働く。
私にとっての人との関係は、その時だけ開くステージだ。
昨日楽しかった相手と、明日も付き合わなければならない理由などなく、一期一会でいい。
私にとっての関係は、「今、お互いの魂が共鳴するか?」という一点のみ。
あなたも、腐った人間関係を維持するより、その方がずっと面白いのではないか?
まとめ

いかがだっただろうか?
昔、仲が良かったことには意味があるかもしれない。
今その人と接触することで、何が生まれているのか。
私はその瞬間のエネルギーを感じたい。
付き合う意味がない人を、嫌いになる必要もない。
そして、今の自分には、今の自分に合う人がいる。
だけど、いつまでも、冷蔵庫に入れて、保存しておく必要はないってことだ。
